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2017年4月16日
イースター礼拝のメッセージより

●イースター礼拝のメッセージより

 人々は、イエス・キリストが目の前で処刑され、失望の中にありました。そんな中、女性の弟子達は、イエス様が死んで3日目の朝、遺体の悪臭を防ぐ香油を塗るため、イエス様の墓にやってきました。イエス様が死んだ翌日は安息日だったため、彼女達は、安息日が明けてすぐにやってきたのです。

週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。見ると、石が墓からわきにころがしてあった。はいって見ると、主イエスのからだはなかった。そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。
「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」女たちはイエスのみことばを思い出した。
(新約聖書 ルカの福音書 24:1〜8)


 墓に着いた女性達は、御使いから、イエス様がよみがえったことを告げられます。
 死んだはずのイエス様がよみがえった――これが、私達クリスチャンの信仰の土台になっています。この世界を造った神がおられること、この神が、私達の罪を赦すために十字架にかかり3日目によみがえったこと、イエスを信じる者は永遠に生きることができること、イースターはこれらのすべてが示された日です。
 イエス・キリストが復活したのは、週の初めの日、すなわち、日曜日です。本来、日曜日は、仕事始めの日でした。しかし、イエス様が復活したことを記念して、感謝を表すために、日曜日に礼拝を捧げるようになったのです。これが、日曜礼拝の始まりであり、今日広く日曜日が休みになった由来です。
 さて、世界は、この神を信じる人と信じない人の二通りに分けることができます。
 信じない人々の最大の理由は、神が目に見えないからです。神はいないと信じることによって、人間は偶然できたという進化論を信じることになります。かたや神を信じる人々は、人間は神によって造られたと信じます。お互いに自分の信じるところを証明しようと、何度も試みてこられましたが、厳格には、そのどちらも証明することはできません。
 数学者であり哲学者でもあるパスカル(1623-62)は、「パンセ」という著書の中で、「神がいるともいないとも証明できない。よってどちらかに賭けるしかない。そこで、神がいる方に賭けたほうが、いないほうに賭けるより、はるかに人間は幸せになれるし、祝福が大きい。」と述べています。実に数学者らしい考え方で、損得を考えた結果、彼は、神がいるほうに賭けたほうが、はるかに徳だと考え、神学者になりました。
 神を信じるのに、お金がかかるわけでもありませんから、信じようか信じまいか迷っている人がいたら、それは信じたほうが得です。ただ信じるだけで永遠のいのちがもらえるのですから、保険に入るのと同じで、信じてさえいれば万一の時に助かります。パスカルは、そのように考え、神を信じることにしたわけです。

●どちらに賭けるか

パスカルが言うとおり、神がいる方に賭けると、どんな得をするのか考えてみましょう。

●神がいない方に賭けると

1. 問題にぶつかった時に祈れない。
 日本人は、神を信じないと言いながら、終戦記念日には黙とうしますし、「困った時の神頼み」という言葉もあります。しかし、いったい何に対して祈るのでしょうか。神がいないほうに賭けるなら、祈ることはできません。

2. 死後は何もない。
 神がいないのであれば、天国はありませんから、死んだらおしまいで、ただ死を恐れることになります。神はいないと言いながら、東南アジアでは輪廻を信じる風潮がありますが、それなら、最初から神を信じれば良いのです。

3. 命の目的がわからない。
 神がいないなら、私達人間は、偶然と突然変異によって、進化してできたことになります。それは、生まれたことに意味や目的はないということです。すると、今を楽しむしかない生き方になり、楽しくなければ人生は虚しいだけで、何のために生きているのかわからなくなります。

●神がいる方に賭けると

1. 患難にぶつかった時、祈ることができる。
 どうにもならないと思った時、すぐに心から祈ることができます。私の義理の祖父は、シベリアで多くの戦友が命を落とすのを見てきました。驚くことに、彼らの死因の多くは、餓死や衰弱ではなく、絶望と恐怖による発狂だったそうです。この時祖父は、自分は祈ることによって、命を落とさずに済んだのだと語ってくれました。困難にぶつかった時に、本当に助けになるものは信仰です。私達が本当に大切にすべきものは、どんなつらい時でも、自分を支え助けてくれるものではないでしょうか。それは神です。

2. 天国に行く希望が持てる。
 神を信じる者にとって、死は通過点であり、終わりではありません。死んでも天国に行けるという希望を信じることができます。

3. 生きる目的を知ることができる。
 神が人を造った目的は、愛するためであると聖書は教えています。「私があなたを愛したように、愛しなさい。」と神は教えます。多くの人は、愛されることを目標にして生きるため、かえってうまくいかずに苦しんでいます。ベストセラーとなった「嫌われる勇気」(アドラー著)は、人の苦しみの根底にあるのは劣等感だと言っています。愛されよう、良く思われようと必死になると、人のことばが気になって、やりたくないことをしなければなりません。こうして、自分でない自分を生きることになり、苦しむのです。聖書は、愛されようとすることをやめて、愛するように教えています。

 神がいることに賭け、神のことばを信じ、愛することを目指して生きるなら、神に愛されている自分に気づくことができるでしょう。生まれつき目が見えず、耳が聞こえず、闇と沈黙の中に生きていたヘレン・ケラーの話は有名ですが、彼女がまったく生まれ変わり、人を愛する生き方に変わったのは、神の存在を知り、自分が愛されていることを知ったからです。
 「あなたは神に愛されている」、イエス・キリストは2000年前、この希望を伝えるためにこの地上に来られたのです。

●イエス・キリストが残したもの

 イエス様は私達に、「あなたはそのままで価値がある」と教えてくださいました。
 私達は、自分の価値を人と比べて考えます。そして、自分はダメだという劣等感を抱くのです。しかし、人として来られた神ご自身が、「そのような考え方は間違っている、あなたはそのままで素晴らしい」と教えてくださったのです。
 イエス・キリストは、エルサレムに入城する際、まだ誰も乗ったことのない子どものロバに乗って入城なさいました。王が城に凱旋するのですから、普通なら豪華な馬に乗るところです。しかし、イエス様がロバに乗られたのには、深い意味があるのです。
 ロバは馬と比べて価値がないと思われる動物です。その中でも、まだ誰も乗ったことがないロバとは、誰も価値を見出していないということです。さらに子どもは、当時の考え方では、まったく価値がないと思われていた存在です。
 つまりイエス様は、この地上で、誰もが価値がないと思うものを連れてきなさいと言われたのです。そして、弟子達にそのロバを連れてくる理由を聞かれたら、「私が必要としているから。」と答えるように言われました。
 このイエス様の行動は、大変象徴的です。神の目にはあなたは大変高価な存在です。あなたが、自分を人と比べて自分なんかダメだと思っているなら、その価値観は間違っていると教えておられるのです。神は、「私があなたを必要としている」とおっしゃっているのです。姦淫の罪で捕らえられた女性にも、人をだまして金儲けをしていた男性にも、自分を裏切った弟子にも、イエス様は一言も責めることをなさらず、赦し、あなたを愛していると言われたのです。こうして、イエス様と出会った人々の価値観は変わっていきました。
 イエス・キリストは私達に向かって、あなたの価値はあなたの行いにあるのではない、あなたそのものに価値がある、私はあなたを愛してやまないというメッセージを残し、私があなたに代わって十字架にかかると言っておられるのです。人は悪いことをしたら、罰を受けて責められるものだと思っています。しかし、イエス様は、私はあなたを責めないし、あなたを愛してやまないと言って、十字架にかかったのです。
 そのイエス様が三日後によみがえったことを通して、人々はイエス様こそ真の神だと信じるに至ったわけです。
 私達クリスチャンの信仰はここにあります。イエス様は神であり、その神が私の罪のために十字架に架かり死なれたが、三日後によみがえった――これが信仰の原点となり、今日のような礼拝が始まりました。イエス・キリストの人生と復活を知ることで、私達は何があっても神に祈り、希望を持って生きていこうとする信仰を持つことができるのです。

●神を信じて生きるとは

 第二次世界大戦終戦の時、中国のリーダーであった蒋介石氏は、クリスチャンでした。彼は、「日本人に危害を加えてはならない。彼らも被害者なのだから。」と言って、日本人が無事に帰国できるよう尽力しました。また、彼は、中国の日本への国家賠償を放棄しました。それは、民族の間に恨みと憎しみの連鎖を残すだけだと彼は語ったのです。
 また、元台湾総統の李登輝氏もクリスチャンですが、彼は、「指導者とは何か」という著書の中で、「指導者の第一条件は、信仰だ」と、言い切っています。彼は、「自分の頭上に神が存在しており、助けてくれる。そのような信仰が、一国の運命を左右する孤独な戦いに臨む指導者を支える大きな力となる。困難な事態にぶつかった時、私は必ず聖書を手にし、まず神に祈った。」と語っています。アメリカ大統領であったリンカーンも、信仰が、人にとっていかに大切なものかを語っています。
 信仰は、それほど力になるものです。信仰がなければ、人はさまよってしまいます。パスカルは、何が得かを考えて、神がいる方に賭けました。神がいるほうに賭けなければ、この世界をどうやって生きればいいのでしょうか。どのように目標を見出せばよいのでしょうか。どのように死の恐怖を乗り越えるのでしょうか。そうやって、神はいないと否定し続けて、何の得となるのでしょうか。それよりも、自らの弱さを認め、死の恐怖を覚える弱いものであることを認め、神に祈る生き方こそ、あなたにとって必要な生き方ではないでしょうか。
 イースターは、イエス・キリストが復活したことを信じる信仰の原点です。今一度、信仰を見直しましょう。イエスは神であり、よみがえられたと信じる時、私達は、強い力を手にすることができます。困難にぶつかる時や、孤独の時も、神に祈ることができ、神に支えられ、道が開かれる経験を必ずすることができます。