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2016年11月27日
終わりの日の準備

   すべての人に肉体の死を迎える時がやってきます。その日に備えて、私達はどのような生き方をすれば良いのでしょうか。

1.永遠のいのちを受け取る

   アメリカの小学校のある先生は、毎年子どもたちに、イソップ物語の「アリとキリギリス」の続きを考えさせる授業を行っています。一生懸命働いて食糧を蓄えたアリさんのところに、ずっと歌い暮らしていたキリギリスさんが、冬になり食べ物がなくなったから分けてくれと頼みに来る物語です。この先生は、子どもたちに「アリさんは何と答えたか、この続きは皆さんが考えてください」と質問します。すると、多くの子どもたちは、「アリさんはキリギリスさんに食べ物を分けてあげ、ふたりは仲良く過ごしました。」というお話を考えるそうです。そして、少数ですが、「アリさんは、『人生そんなに甘くない』とキリギリスさんを追い返しました。」という子どもたちもいます。ところが、30年間の間に、たった一人だけ、次のような作文を書いてきた子どもがいました。
   「アリさんは、キリギリスさんに、自分の持っている食べ物をすべてあげてしまいました。そして、アリさんは死んでしまいました。」その子の作文の裏には、3本の十字架の絵が描かれていました。
   先生が、その子に「どうしてこのように考えたの?」と聞くと、子どもは「友のために命を捨てる以上の愛はないから。」と答えたそうです。
   イエス・キリストは、次のような言葉を語り、十字架にかかりました。

『人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。』(新約聖書 ヨハネの福音書 15:13)

   私達はキリギリスと同じように、死ぬしかない者であったのに、イエス様がご自分を犠牲にして、私達を生かしてくださったのです。この子どもは、この教えをしっかりと受け止めていたのでした。
   自分を助けるために命を捨て十字架にかかってくださった方がいるということを、私達は知っているでしょうか。この方を信じ、永遠のいのちを受け取ることこそ、終わりの日の準備の第一歩です。そうすれば私達は、人生の冬を迎え、その命を失う時も、イエス様がよみがえられたように復活することができるのです。

『まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。』(新約聖書 ヨハネの福音書 5:24)

   ヨハネの福音書は、永遠のいのちについて詳しく書かれていますが、それはすべて現在形です。つまり、永遠のいのちとは、将来受け取るものではなく、すでに受け取っているものなのです。イエス・キリストを信じている人は、すでに死から命に移っています。ですから、死んだら本当に永遠のいのちがもらえるだろうかと、心配する必要はありません。すでに朽ちない体を着せられている私達は、肉体の死を迎える時、新しい体を着せられるわけではなく、死の体を脱ぎ捨て、朽ちない体に脱皮するようなものなのです。そういうわけで、いつ死が訪れても大丈夫だから、安心して生きてほしいと主は願っておられます。
   この永遠のいのちをしっかり持つことが、終わりの日への備えです。

『ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。』(新約聖書 コリント人への手紙第二 4:16)

   私達は永遠のいのちを与えられ、その命は日々新たにされて、成長しています。外側は衰えていきますが、本当の私達は日々成長し、新しくなっているのです。このことがわかると希望持つことができるのです。

2.信頼を持つ

『そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。』(新約聖書 ヨハネの手紙第一 2:28)

   永遠のいのちを受け取ったら、永遠のいのちにとどまり続け、神様への信頼を育てることが、終わりの日への準備の次のステップになります。肉体の死によって天に引き上げられ、イエス様と出会う時、神様への信頼を持っていなければ恥ずかしいよ、と聖書は語っています。
   神様への信頼こそが、私達が天に持っていくことのできる唯一の宝であり、愛なのです。聖書が教える愛とは、神を信頼することです。ここから平安が生まれ、人からの見返りを求めない行いができるようになっていきます。ですから、神を信頼する信仰を育てていくために、神様は私達を訓練なさるのです。これが、終わりの日のための次の準備になるわけです。

『信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。』(新約聖書 へブル人への手紙 12:2)

   永遠のいのちを持つとは、神様から信仰が与えられることですから、信仰の創始者とは神様です。完成者とは、与えられた信仰を、神様を信頼するところまで成長させることです。それがあなたに安息をもたらすことになるため、神様はあなたを訓練なさるのです。

『そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。……すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。』(新約聖書 へブル人への手紙 12:5〜7、11)

   神様は、私達に、平安・安息の実をならせたいと願っておられます。ですから、これが私達がしなければならない備えになります。
   あなたがどこまで神様を信頼することができるか、その平安をつかませたいと願って、神様が私達を訓練しておられるという視点で人生を見られるようになると幸いです。目の前にある苦しみや患難が、ただ苦しくつらいものから、これを通して私の信仰が訓練されるのだという視点に変わるからです。これが、神様が私達を見る物差しです。人生を捕らえる物差しが、あなたがどこまで私を信頼できるのかという神様と同じ物差しになれば幸いです。

   ある原住民は、成人の儀式として、13歳になった男子を、目隠しをしてジャングルに連れて行き、たった一人で一晩、過ごさせるそうです。猛獣などの死の恐怖に耐えさせて訓練するわけですが、実際には、子どもにはわからないように、男性が近くの木陰から弓を持って彼を見守り、危険から彼を守っているのです。そのことを知らない本人は、本気で死の恐怖と立ち向かい、これが彼の訓練になります。
   これはまさに、神様と私達との関係です。私達は、死の恐怖というジャングルで暮らしているようなものです。様々なことで不安になりますが、実は私達の見えないところで、守ってくださっている方がいるのです。聖書には、「天使があなたを取り巻いている」と書かれている箇所もありますが、私達にはそれが見えないため、不安になりつぶやくこともあります。そんな私達に、聖書は繰り返し、神が共におられるから大丈夫だと教えています。
   「神が共にいる」ということを、あなたが信仰で見えるようになることが、神様への信頼です。このような信仰を育てることが、神様の訓練の目的であり、ご自分の姿を見せないことが訓練になっています。神様があなたを懲らしめ、むち打つとは、決して危害を加えるという意味ではなく、あなたの患難を静観するということです。しかし、命が危険にさらされることがないよう、必ずそばにいて私達を守り、助けてくださるのです。
   ヨブ記を読むと、そのことがよくわかります。ヨブは様々な患難に遭いますが、命を取られることはありませんでした。そして、患難によって、ヨブは信頼を訓練されました。これが終わりの日への準備です。つぶやかず、神様を信頼できるようになることです。
   イエス様の別名を、インマヌエルと言います。これは、「神は私と共にいる」という意味です。イエス様は、あなたは私の一部であり、私はあなたを見捨てないと言っておられます。それでも、私達は、その言葉が信用できず、神様の姿が見えないためにつぶやいてしまいます。このつぶやきを減らすことを目指しましょう。それが信頼するということです。

3.夢を持つ

   私達は、永遠のいのちによって、内側は日々新しくなっています。日々新しくなっていることは、夢が途絶えることはないということです。
   世の中は、死んだらすべてが終わり、その先には何もありません。ですから、夢を持ち続けることはできません。しかし、イエス・キリストを信じる者には、もう死はありませんから、いつまでも夢を持ち続けられます。
   見える自分の姿を見ると、だんだん年老いて、もう夢を持つのは無理だろうと思うものですが、そうではありません。人は、夢を持ち続けることが必要です。夢を持ち続け、祈り続けることが、神のへの信頼を増し加えるからです。夢がなければ、信仰は成長しません。ですからイエス様は、繰り返し「求めなさい」と語り、何でもいいからとにかく祈るように教えておられます。
   聖書は、旧約の時代から一貫して、「幻(ビジョン)のない民は滅びる。」と語っています。夢を持たなければ、人生はあまり収穫がありません。神を信頼するという平安の実を収穫したければ、夢を持って生きることが大切です。
   イスラエルの歴史の大きな転機となった人物がヨセフです。彼は、小さい頃から夢を語る人でした。その一生は、実に波乱にとんだ生涯です。ヨセフは父親から一番愛されていたために、他の兄弟たちの嫉妬を買って、奴隷としてエジプトに売り飛ばされてしまいます。それでもヨセフは夢を捨てずに努力し、主人の信頼を勝ち取った矢先、今度は、罠にはめられて牢につながれてしまいます。それも彼は、夢を見続けて、同じ牢にいた人の夢を解き明かしたことがきっかけとなり、エジプトの大臣になって、エジプトを飢饉から救うのです。この時、まさか弟がエジプトの大臣になっているとは知らず、兄達がカナンからエジプトに食料を買い求めに来て、ヨセフが見た夢は次々に実現していきます。
   こうしてイスラエルは、エジプトに移住し、後にモーセのエジプト脱出へとつながっていくのです。

・夢を持ち続けるには

   夢を持ち続けると言っても、現実味のない夢ばかりを追い続けては、どうしようもありません。夢を現実にする人と白昼夢を見る人の違いは、夢を語るかどうかです。語ることをしなければ、現実性はなく、神への信頼も育ちません。
   夢とは、神が与えるものです。神様が与えてくださった夢を語らなければなりません。語ることによって、初めてそちらの方向に体と心が動き出します。人の行動や生き方は、その人の思いや考えに左右されているのではなく、その人が語る言葉によって決定されています。否定的なことを語れば、否定的な方向に進みます。聖書が、繰り返し「裁くな」と教えているのは、言葉が生きる方向を決定するからです。たとえ思いが否定的であっても、肯定的な言葉を語り、否定的な思いに支配されないように戦う必要があります。語ることが、否定的な思いに左右されない第一歩になるのです。
   ウォルト・ディズニーは夢を語るクリスチャンでした。彼は、「人々に幸福を与え、大人も子供も、共に楽しい思い出を作ってもらえる場所」を夢見て、ディズニー・ワールド・リゾートを造りましたが、その完成を見ることなく、天に召されました。完成祝賀会で、人々が「ウォルトもこれを見たかっただろう」と言ったところ、友人たちは、「彼はもうこれを見ていたよ。見ていたからこそ、現実にすることができたのだ。」と語りました。
   夢を語れば語るほど、信頼が増し加わり、夢を心に見ることで現実になっていきます。否定的なことを語れば語るほど、現実のものになりません。神様があなたに与えておられる夢はなんでしょうか。神様が与えてくださっている夢がわからないという人は、家族の救い、友人の救いを神に求めましょう。そうしないと、私達は否定的な世界に押しつぶされてしまいます。

・できることから始めよ

   夢を持って祈りさえすれば、突然ピアノがうまくなって、ピアニストになるなどということはありません。ビジョンを持ったら、目の前のできることから取り組まなければなりません。
   パウロは、人々に救われてほしいというビジョンを持って、宣教に出かけ、福音を語りましたが、初めは歓迎されたわけでもなく、1対1で福音を語っていくところから始めました。そして、大リバイバルが起き、キリスト教の基礎が築かれていくようになったのです。
   とにかく福音のために生きていきたいというビジョンを抱いていたパウロは、次のような生き方をしました。

『私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。』(新約聖書 コリント人への手紙第一 9:23)

「ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。』(新約聖書 コリント人への手紙第一 9:26)


   勝利を目指すアスリートと同じように、明確なビジョンを持って、無駄なことはせず、今の自分にどういう訓練が必要か考えて行動していると言うのです。私達も、夢を語るなら、それに対して自分は今何ができるかを見つけて行いましょう。今、自分は何をすべきか道筋が見えなければ、現実性が見えてきません。現実を見て無理だと思ってしまえば、あきらめてそこで止まってしまいます。ですから、できることを見つけ、できるところから始めましょう。

・祈り続ける

   あきらめないで夢を持ち続けるために必要なことは、祈り続けることです。
   今、アフリカは多くのクリスチャンがあふれています。しかし、今のアフリカがあるのは、多くの宣教師が夢を持ち続け、あきらめずに福音の種をまき続けたからです。ヨーロッパから初めて派遣された4人の宣教師は、まったく実を結ぶことができず無念のうちに撤退しましたが、次の宣教師、また次の宣教師と、あきらめないで継続することによって、アフリカに大リバイバルが起きました。
   私達は、死から命に移されているので、夢を継続することができます。何があっても夢を見続けることができます。神様への信頼を持ち続けることができます。夢を持って生きることが大切です。夢を持ち続け、実行し続けましょう。常に神様はあなたの後ろにいて、あなたを見守り、助けてくださいます。
   しかし、もしあなたが何もしなければ助けようがありません。自分で自分の身を守ることをやめ、神様のために一歩を踏み出すなら、神様が助けてくださるのです。こうして、神様への信頼を増し加えていくことができます。

   現代の人々は、様々なことで思い悩んでいます。しかし、その本当の問題は、夢を持っていないことにあります。神様を信じているのに、夢がないことにあります。あなたを助けてくださる方がいるのに、信頼して一歩を踏み出すことができないところにあります。
   私達は、神様と命をつなぎ合わされていますから、終わりの日の準備として、神様に向かって正しい生きたをしましょう。神様には、あなたにしてほしいことがあるのです。そのビジョンを見つけて、神様を信頼して生きましょう。