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2016年9月25日
感謝

   天候不順が続くと、これまで気に留めていなかった太陽のありがたさに気づき、感謝できるようになります。同様に、私達は、自分のまわりに満ちあふれている神の恵みを、当たり前だと思って感謝を忘れてはいないでしょうか。

『神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。
彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、
不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。』(新約聖書 ローマ人への手紙 1:20〜23)


   神は目に見えませんが、神がお造りになったこの世界に存在するすべてのものの中に神の恵みは満ちています。あなたは、今、神の恵みの中に生かされているのです。誰も、神など知らないとは言えないのです。

感謝を忘れると何が起きるか

1.思いがむなしくなる

   感謝できない人は、何を手にしても満足することができません。そうすると、その人の心にはむなしさしか残りません。人の心のむなしさの原因は、感謝できないことにあるのです。
   感謝しましょう。感謝することによって、むなしさは消え去ります。私達の日々の生活の中には、感謝することがたくさんあります。当たり前にあると思っている太陽も雨も、なくなれば大変困るものです。今与えられているものに感謝することをしなければ、結局自分の心をむなしいものにしてしまうのです。

2.心が暗くなる

   感謝できないと心が暗くなります。私達は、落ち込むと、人のせいにしたり、環境のせいにしたりしがちですが、出来事が人の心を暗くするわけではありません。あなたの心が暗くなるのは、その出来事を感謝できないと判断する価値観によります。その価値観を持っていることが問題なのです。
   価値観とは、物事を判断する物差しです。たとえば、あなたは、人の態度や言葉、自分自身の失敗など、環境や状況によって、「どうせ自分なんかダメだ」と考えて、心を暗くさせることはないでしょうか。しかし、その物差しは、本当に自分の姿を正しく映し出しているのでしょうか。もしかしたら、その価値観が間違っていて、間違った判断をしてはいないでしょうか。
   自分の判断が正しいかどうかを確認する基準は、言うまでもなく聖書です。神様と異なる価値観で物事を判断すると、私達の心はつらさを感じてしまうのです。
   残念なことに、この世の価値観は、神様の価値観とは相当異なっています。たとえば、イエス様は、ぶどう園のたとえを用いて、夕方1時間しか働かなかった人にも、朝から働いた人と同じく1日分の給料を支払うと言っておられます。朝から働いていた人が「そんなのはおかしい」と言って逆切れしましたが、もしあなたが、その人が怒るのは当然だと思うなら、あなたの価値観は間違っています。主人は彼に対して約束通り支払っており、他の人にいくら払うかは、主人が自由に決めることだと、イエス様は教えました。それは、この世の価値観は何ができるかで人を判断しますが、神はそのようなうわべで人をはかったりしないということなのです。それなのに、私達は自分を人と比べるから、人より劣っていると思って暗くなってしまうのです。
   また、ある時、姦淫の現場で捕まり石打ちの刑にされようとしている女性に対して、あなたならどうするのかと聞かれたイエス様は、「この中で一度も罪を犯したことのない人から石を投げなさい」とおっしゃいました。これを聞いた人は誰も石を投げることができず、すべての人が去った後、イエス様は「私もあなたをさばかない」と言われました。これが神様の価値観です。
   それに対して、私達は、悪いことをする人を見るとすぐにさばき、罰を受けるべきだと主張していないでしょうか。しかし、この価値観は、人を見る正しい価値観ではありません。
   私達は、誰が悪いかと人をさばくのが大好きです。さばいていると、自分が偉くなった気がして、気分がいいからです。こうして人はストレスを発散しているのです。しかし、このような価値観で人を見る限り、感謝することはできません。自分の価値観を変えない限り、自分で自分の心を暗くしてしまうのです。

『この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい』(新約聖書 ローマ人への手紙 12:2)

   自分を変える方法は、価値観を変えることです。そうすれば感謝できるようになり、心が明るくなります。

3.愚か者になる

   聖書は、感謝できない人は愚か者になると教えます。聖書が教える「愚か者」とは、神を信じて頼らない人のことです。神を信頼するのではなく、見えるものを頼って平安を得ようとするため、まわりが変われば幸せになれると思い、変わらないことに不満を抱きます。あるいは、しがみつくものを変えれば幸せになれると思い、常に自分を幸せにしてくれるはずの新しいものを求め、しがみつくものを変え続けて生きるのです。 これが愚か者の生き方です。感謝できるようになるには、神を信頼することです。感謝できない心はいつまでたっても、神を信頼することができません。

どのように感謝すればいいか

   感謝できないことは、人生にとって非常にマイナスです。どうすれば、感謝できるようになるでしょうか。感謝できる理由も聖書は教えています。

1.私達はキリストの器官

『大ぜいいる私達も、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 12:5)

   神の体の一部であるということは、私達と神は、ひとつだということです。それは、人間同士も、互いにひとつであることを意味します。あなたが存在するためには、他の人の存在が必要なのです。それがキリストの体の器官であるということです。私達は互いを支えている器官であることを知れば、お互いを感謝して生きることができるようになり、争いもなくなるでしょう。そして一つ一つの器官が最終的につながって作り上げている体は、キリストの体なのです。
   マザーテレサは、ある時、『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』(新約聖書 マタイの福音書 25:40)という御言葉を読んで、雷に打たれるほどの衝撃を受けました。人を愛することができないなら、自分は神を愛していないと悟り、自分が人に対してすることは、そのまま神様に対してすることなのだと悟ったマザーテレサは、この世から見捨てられた人々に対して手を差し伸べる活動をはじめました。彼女は、「私はただ神の御手の鉛筆です。」と語ります。鉛筆は、字を書くことにも絵を描くことにも使われますが、多くの人は自分で自分のために名作を書こうとします。しかし、マザーテレサは、私は神の御手に握られた鉛筆だから、神様が自由に使ってくださればいいと語るのです。自分自身を神様にささげきったことこそ、彼女に喜びが満ち溢れる秘訣なのです。
   自分がほめられるため、自分のために生きようとすると、いつも人の目が気になり、感謝できなくなってしまいます。賞賛されると心は満たされ、賞賛されないと腹が立つというように、状況にコントロールされてしまうのです。しかし、自分を神にゆだねて、自分は神の鉛筆だと気づくなら、神様が私を使ってくださることに感謝できます。
   キリストの体の器官であることの意味に気づくと、感謝できるようになります。あなたはひとりで存在しているのではなく、器官として存在していること、それは、人に支えられ、神に支えられて生かされているということです。これが、感謝して生きられる理由です。

2.神の愛から引き離されることがない

『私達をキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私達の主キリスト・イエスにある神の愛から、私達を引き離すことはできません。』(新約聖書 ローマ人への手紙 8:35,38〜39)


   神の言葉を聞き、一度神と結び合わされたなら、何が起ころうと、あなたが何をしようと、どんなものも決してあなたを神から引き離すことができません。あなたがどんな失敗をしても、罪を犯しても、神と引き離されることは不可能なのです。それには、次のような理由があります。
   私達は、肉体の中に「魂」(「いのち」や「心」と表現してもかまいません)を持っています。創世記には、神は、土から私達の体を造り、そこにいのちの息を吹き込んだと書かれています。この「いのち」とは複数形で、三位一体の神を表す言葉であり、「息」は単数形で、魂とも訳される言葉です。私達の魂は神のいのちで造られており、私達は神のいのちの一部なのです。そのため、私達は、神の子と呼ばれるのです。
   そして、このことは、私達が神とつながっていなければ生きられないということ意味しています。人は、神なしでは存続することができない存在であり、神のいのちの中にあって、初めて生きることができるのです。神様抜きで生きなければならない時、そこにはむなしさしかありません。なぜなら、それは永遠の死を意味するからです。神とつなぎ合わされて神と共に生きるしか、生きる道はないのです。
   このことがわかると、人の弱さとは何かがわかります。日本人は、「弱さ」ということを悪い意味でとらえがちですが、人の弱さとは、一人では存在できず、神なしでは生きられないということです。その人間が神なしで生きようとするために、何かにしがみつかずには生きられないわけです。そして、しがみついているものが立派なら、その人は弱くないと考えているのです。おかしな話です。
   しかし、神のいのちで造られている私達の魂は神を知っています。ですから、神以外のものにつながろうとすると、魂はむなしさを感じます。そして、一度神と結び合わされたら、二度と離れることができなくなってしまうのです。もともと一つであったいのちが一体となるのです。この魂の声に耳を傾けるなら、キリストと結びつくことができ、永遠に生きるものとなります。このことを真に知る時、人は感謝できるようになります。

3.神はあなたを愛している

『しかし私達がまだ罪人であったとき、キリストが私達のために死んでくださったことにより、神は私達に対するご自身の愛を明らかにしておられます。』(新約聖書 ローマ人への手紙 5:8)

   あなたが罪人でありながら神を拒否していた時、キリストはあなたのために死んでくださいました。私達が知らなかっただけで、あなたがどんな状態であっても、神はあなたを愛し続けてきました。そのことを知る時、私達は感謝せずにはいられなくなります。

   感謝を忘れると、心はむなしく、暗くなり、神を信頼することができなくなって、見えるものを頼ろうとしてしまいます。しかし、私達には感謝することがたくさんあります。多くの人に支えられ、神に支えられて生かされていること、あなたがどんなものであっても、神から引き離されることはなく、神はあなたを愛し続けておられることを知り、感謝する人になりましょう。