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2014年月3月23日
『はっきり見えるように』
(新約聖書 エペソ人への手紙 1章12〜19節)
『それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。』(新約聖書 エペソ人への手紙 1:12)

   神をほめたたえるとは、神が用意してくださった十字架の贖いという恵みに気づくことです。十字架の贖いとは、罪を赦し、神との関係を築き上げる恵みです。神は、私達がこの恵みに気づいて、神を愛し、人を愛する者になるように願っていらっしゃいます。その生き方が、神をほめたたえるということなのです。

『この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。』(新約聖書 エペソ人への手紙 1:13,14)

   キリストを信じたことによって、聖霊の証印を押されたとは、イエス様を信じるとは、私達の中に聖霊が住まわれることだということです。
   このことは、神は三位一体であることを教えています。三位一体とは、父なる神と、イエス・キリストと、聖霊という三人のそれぞれ人格を持った神がおられ、この神に上下関係はなく、同じ思いで互いに協力し合って一つのことを成し遂げるため、私達にとってはお一人の神だということです。

『こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、 あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。』(新約聖書 エペソ人への手紙 1:15〜17)

   私達が、イエス様を神だと信じることができるのは、神が私達にそれを示してくださったからです。聖書を勉強して知識を得ても、信じられるわけではありません。さらに、神がどういう方か知識を増し加えてくださるのも、神ご自身です。

『また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。』(新約聖書 エペソ人への手紙 1:18,19)

   私たちの心の目が開かれて、三つのことがはっきり見えるようになるようにと、祈りを込めて述べられています。では、その三つを見ていきましょう。

・第一番目・・・「神の召しによって与えられる望み」

   心の目が開かれ、はっきり見えるようになってもらいたいという一つ目の内容は、「神の召しによって与えられる望み」です。「神の召し」とは、神に呼ばれることであり、「救いの恵み」にあずかることを指します。つまり、救われることで与えられる望みを知るようにという意味です。では、救われることで与えられる望みとは何でしょうか。それは、神との関係が回復し、「永遠のいのち」を持つことです。「永遠のいのち」を持つとは、永遠に神との関係が回復したことであり、二度と滅ぼされることのないことを意味します。イエス様は、そのことをこう言われました。

『わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。』(新約聖書 ヨハネの福音書 10:28)

   つまり、神の召しにあずかる「救いの恵み」には、永遠に神と共に生きられるという望みがあります。その望みは、救いは決して取り消されず、からだが朽ちたあとは、朽ちないからだを着せられるという望みです。ですから、救われたあと、自分の状態を見て、本当に神の国へ行けるのかと不安に陥る必要はないのです。これが、心の目が開かれて、はっきり見えるようになってほしい一番目の内容です。

・第二番目・・・「聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか」

   心の目が開かれ、はっきり見えるようになってもらいたいという二つ目の内容は、聖徒が受け継ぐものです。聖徒には、神が受け継ぐようにと用意された相続財産があるからです。その「聖徒」とは、神の召しを受け、「救いの恵み」にあずかった者を指します。つまり、救われた者に用意された相続財産が、どのように栄光に富んだものかを知ってほしいということです。では、その相続財産の中身を見てみましょう。

   それは、一言で言うと「平安」であり、「安息」です。私たちに罪という病気を発病させた「死の恐怖」を取り除き、「平安な義の実」を結ばせることで、「安息」に入れるというのが、救われた者の受け継ぐ財産です。言い換えると、その相続財産とは、罪が赦される「赦しの恵み」の体験を通して、神への信頼が増し加わる「平安」です。つまり、私たちが相続する財産は二つあります。一つは、「救いの恵み」を通して手にする「永遠のいのち」。一つは、「赦しの恵み」を通して手にする「平安」です。これが、心の目が開かれて、はっきり見えるようになってほしい二番目の内容です。

・第三番目・・・「私たち信じる者に働く神のすぐれた力」

   心の目が開かれ、はっきり見えるようになってもらいたいという三つ目の内容は、信じる「信仰」に働く神の力です。神は、私たちに信仰をお与えになりました。その信仰は、とてつもない働きをします。神がおられることを信じさせる働きだけではなく、神に願ったことは聞かれたと信じさせる働きをします。そして、神の力は、信じたとおりに働きます。私たちには、そうした素晴らしい賜物が神から与えられているのです。そのことに気づき、それを使うようにというのが三番目の内容です。イエス様は、そうした信仰の素晴らしさを、次のように述べておられます。

『まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。』(新約聖書 マルコの福音書 11:23,24)

   ただし、この信仰を使うときには注意が要ります。信仰は、神への信頼が増し加わるために使うのであって、肉の願望を達成するために使ってはなりません。ですから、誰かに恨みを持ったままで神に願ってはなりません。恨みは、肉なる思いであるからです。まずはそれを取り除き、人を愛する心で、神に願うのです。そうすれば、信仰に愛が働き、神への信頼が増し加わります。それゆえ、イエス様は先の御言葉の続きでこう言われました。

『また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。』(新約聖書 マルコの福音書 11:25)

   このように、神は素晴らしい恵みを三つも用意されています。「永遠のいのち」の望み、「平安」の相続、「信仰」に働く神の力です。そうした恵みが見えるようにというのが、エペソ人への手紙1章18〜19節の意味です。