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2013年12月14日
『ほかの福音はない』
(新約聖書 ガラテヤ人への手紙 1章6〜24節)
『私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。』(新約聖書 ガラテヤ人への手紙 1:6〜9)

   この世には、いろいろな宗教すなわち福音と呼ばれるものがあります。しかし、私達を救い、永遠に生きることができるというキリスト教の教え以外に、福音はないと聖書は教えます。なぜそのように言えるのか、3つの点について考えてみましょう。

なぜ他の福音はないと言えるのか

1.キリスト教以上に人を変えた教えがあるでしょうか?

   音楽の土台を築いたバッハや文豪トルストイ、科学者ニュートン、哲学者キルケゴール、政治家リンカーンなど、様々な分野に多くのクリスチャンが存在します。現在放送中の大河ドラマの主人公八重も、クリスチャンになって新しい人生を歩み、人々に大きな影響を与えました。歴史を細かく見ていくと、キリスト教の影響を受けた人が、実に多いことに驚かされます。時代を越え、国境を越えて、これほど多くの人に影響を与えたものは、他に存在しません。
   21世紀を迎える時、アメリカのライフという雑誌が、有識者に「紀元1000年代で最も重要な出来事は?」とアンケートをとったところ、「グーテンベルグが活版印刷を発明し聖書を印刷したこと」が第一位になりました。この出来事によって、一般の人々が聖書を読むことができるようになり、人々の意識が変わり、ルネッサンスをもたらす大きな原動力となったからです。これはやがて産業革命、民主主義へと発展していきました。 一地域、一時代に影響を与えた教えは他にもありますが、人類の歴史にずっと関わり続け、世界の歴史を変えてしまうほどの教えは、キリスト教以外に存在しません。

2.キリスト教の間違いを証明できた人はいません

   これまで、大勢の人がキリスト教の教えは間違っていると言って、それを証明しようと試みましたが、未だかつて、成功した人は一人もいません。
   近年では、マルクス・レーニンによる共産主義・社会主義が、この思想さえあれば神はいらないと豪語しましたが、100年も経たないうちに崩壊しました。また、ニーチェが、キリスト教のせいで人は盲になっていると言って新たな思想を構築し、その思想に影響を受けたヒットラーがユダヤ人を大虐殺しました。
   最近では、国民の90%以上がヒンズー教徒のネパールで、多くの国民がキリスト教を信じるようになり、このことに危機感を抱いた国王が、キリスト教の間違いを国民にわかりやすく教えてあげなさいとヒンズー教の僧侶に命じたところ、キリスト教を学んだ僧侶がクリスチャンになってしまい、投獄されるという事件がありました。しかしネパールでは、このことでますます多くの人がキリスト教を信じるようになったのです。 多くの宗教が、間違いを指摘されると、その批判に耐え得る教えではなかったために、時代や人に合わせて教えを変えてきました。しかし、キリスト教は様々な批判を受けながらも、教えを変えることはありませんでした。
   最後にもう一人、元ニューメキシコ州知事であり、文学者であり、世界的に有名な考古学者でもあるルー・ウォレスを紹介しましょう。彼は、熱心なキリスト教批判者で、無知によって盲目にされているクリスチャン達を憐れみ、キリスト教を撲滅して彼らを解放してあげようと考えました。彼は「いまに驚くべき本を出版してみせる。その本が出たら、世界中のクリスチャンが顔を赤らめて、『キリストを信じていたのは間違いでした。』と言うようになる。」と言っていたそうです。そして、考古学者としてエルサレムにも行き、様々な データを集め、10年の歳月をかけて書き上げた本が、「ベン・ハー〜キリストの物語〜」という小説です。キリストがいかに真実かを、ベン・ハーの人生を通して語る感動的なストーリーで、何度も映画化舞台化されています。ウォレスは、キリスト教を調べれば調べるほど、それが真実であることを否定できなくなり、ついにクリスチャンとなったのです。
   このように、多くの人がキリスト教の間違いを証明することにチャレンジしましたが、誰も成功しませんでした。聖書を調べれば調べるほど、誰も真実から目を背けることはできないのです。今日多くの総合大学ありますが、そもそも大学とは、様々な分野の人々が、様々な角度から聖書を学び、真理を学ぶために作られたものです。ここまでシビアに検証されて、耐えられるような教えは他にありません。

3.キリスト教よりも古い宗教はありません

   キリスト教の歴史は、旧約聖書のアブラハムから約5000年の歴史があり、現存する宗教でこれ以上古いものはありません。聖書の成立はBC13頃からですが、それまで口伝されていた神の言葉をモーセが文書にしたことによるものです。
   よくキリスト教の発祥は2000年前であるように誤解されがちですが、イエス・キリストは、初めから存在する三位一体の神であり、モーセの時代にも現れていらっしゃいます。モーセが十戒を授かる際、神様のお名前を伺ったところ、神はご自身の称号を「ありてあるもの」と言われました。(神の名は口にすることができないため、今日はYHWHという文字しか残っていません。)この称号を、イエス様はご自身に対して使っておられます。つまり、モーセの前に現れた神は、イエス様であったということです。このように、イエス様は人類のはじめから人と関わり、モーセの前にも姿を現しておられるのです。
   また、キリスト教はユダヤ教から派生したと考える人もいますが、これも誤りで、旧約聖書の預言する救い主がイエス様だと受け入れなかった人々が現在のユダヤ教であり、その救い主はモハメッドだとするのがイスラム教です。いずれも、旧約聖書を土台にしており、神はイエスだと認めるかどうかが相違点であり、キリスト教よりも古い教えはありません。

『いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。また私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。それから三年後に、私はケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒にはだれにも会いませんでした。私があなたがたに書いていることには、神の御前で申しますが、偽りはありません。それから、私はシリヤおよびキリキヤの地方に行きました。しかし、キリストにあるユダヤの諸教会には顔を知られていませんでした。けれども、「以前私たちを迫害した者が、そのとき滅ぼそうとした信仰を今は宣べ伝えている」と聞いてだけはいたので、彼らは私のことで神をあがめていました。』(新約聖書 ガラテヤ人への手紙 1:10〜23)

   パウロはかつて、先頭に立ってキリスト教を迫害していました。そのパウロが、イエスは真実であると宣べ伝える者に変わったという話は、広く知れ渡っており、キリスト教が人々に信用される大きな原動力になりました。パウロが改心する様子は、使徒の働きに詳しく述べられています。
   パウロは、この真実は人から教えられたのではなく神ご自身から教えられたことを証しし、かつて自分は他の福音を信じていたが、キリスト教以外に福音はないのだと訴えています。他の福音といったい何が違うというのでしょうか。

キリスト教は他の福音とどこが違うのか

1.信じれば救われる

   宗教はアメとムチによって作られています。○○をすれば神は救ってくださる、救われるためにはもっと△△が必要、従わなければ罰や災いがあるなど、行いによって救いや報酬を手にするのだと教えます。
   ところが、キリスト教は、どんな人でも信じさえすれば救われると教えます。信じておきさえすれば、いつ死んでも天国に行ける――こんなに良い話はないと思うのですが、あまりにも簡単すぎて、人々は驚きます。しかし、これには根拠があります。
   私達が死ぬのは、神との関係が断ち切られている結果です。もともと神と一つに生きるように造られた人間のいのちは永遠のものだったのですが、アダムとエバが悪魔に騙されて罪が入り込み、神との関係が壊れたために、人間は死ぬものとなりました。死という世界に閉じ込められている私達は、自力ではこれをどうすることもできません。自分の力で永遠に生きるものに変わることはできないのです。ですから、救いは、人の行いでどうにかなるものではなく、神の憐れみにすがるしかないのです。これが、信じるだけで救われるという意味です。
   もし、自分では手のつけられない病気になり、医者にかかれば確実に治るというのであれば、医者を頼るでしょう。聖書は、死は病気と同じであり、イエス様を頼れば絶対に治してもらえるものだと教えています。これが救いであり、私を信じて任せなさいと主は言われるのです。

2.罪が無条件で赦される

   この世では悪いことをすれば罰や報いを受けるものです。罪が許されるためには、罰を受けるか、徳を積むか、何かしなければいけないという教えがほとんどです。
   しかし、キリスト教は、罪を言い表すならば、それをすべて赦すと教えます。聖書の教える赦しとは、痕跡すら全く残さず白紙に戻すという意味です。あなたの罪は記録されず、なかったことにすると言うのです。
   このことを教えるために、主は放蕩息子のたとえを話されました。父の財産を湯水のように使い果たした放蕩息子は、改心し、父のもとに帰ってどんな罰でも受けようと覚悟しました。ところが、父は、帰ってきた息子を見て、「ばかやろう、お前はなんてダメなやつだ」とは言いませんでした。何も責めずに抱きしめ、上等な服に着替えさせ、祝宴を催してくれたのです。これが、神があなたに対してしてくださることです。
   ですから、キリスト教では、人生のやり直しができるのです。自分の過去を精算し、新しい人生を生きることができるのは、この福音があるからです。この福音を信じ、多くの人が人生をやり直すことができました。
   自分は決して赦されない、赦されるべきではないと思う人でも、神の前に助けを求めるなら、その時、理屈ではなく、神が自分を赦してくださったとわかります。神の赦しを体験できるのです。この体験が人生をリセットし、やり直しをスタートさせることができるのです。

3.神は共に生きてくださる

   神は、24時間いつもあなたと一緒にいてくださいます。なぜなら、私達は神の体の一部だからです。ほかにこのような教えはありません。イエスは私たちを友と呼び、愛する子と言われました。だから、十字架で自分を犠牲にもするのです。
   今年の5月、ナイジェリア沖で遭難した船の中から62時間ぶりに男性が救出されるというニュースがありました。わずかな空気の隙間と水によって生き延びた男性は、船底の暗闇の中で、船出する前日に奥さんから紹介された、神が共におられるという御言葉をずっと言い続けて祈っていたそうです。
   神はいつでも共にいて、私たちを見捨てないで励まし、希望を与えてくださいます。それがイエス・キリストです。私達が信じる神は、何があろうと見捨てず、常に共にいて励まし、導いてくださる神様です。

   私達は、何か立派なことができるから助けてもらえるのではありません。あなたは神のいのちの一部だから、神はあなたを救いたいのです。その神を信頼しさえすれば、あなたのいのちは息を吹き返し、心の中に希望が見えるようになります。これが救いです。 この福音を聞いておきながら、なぜほかの福音に走ることができるのでしょうか。イエス様に対する信仰を、揺らぐことなく、確信を持って信じ続けられれば幸いです。