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2012年12月30日
『つらさの原因』

   あなたが「いやだなぁ」「不愉快だ」と思ったことは、どんなことですか?そのようなつらさは心のゴミですから処分してしまいましょう。つらさを蓄積すると心を病みます。神はあなたのつらさをすべて処分してくださいます。

   アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンは、出血多量で死亡しました。体調を崩した大統領に対して、医師たちは当時の最先端の医学を用い、治療のつもりで血液を大量に抜き取り、出血多量で死亡させてしまいました。当時、病の原因は血液にあると考えられていたので、医師たちはこのような間違った対応をしてしまったのです。
   つらさも同じです。私たちは皆つらさをなんとかしたいと思っていますが、原因を間違えると、解決できないばかりか、よりつらくなってしまいます。
   自分がつらくなると、「お前が悪いからだ」と人のせいにしたり、まわりのせいにしたりして、本当に問題は解決されるのでしょうか。
   問題には、見えるところの出来事という側面と、そこから感じるつらさという側面の二つがあります。出来事をなんとかすればつらさも解決されると思っているのですが、自分にとって本当は、つらいという感情のほうが問題なのです。
   これまで出来事を改善しようとして、つらさから解放されたでしょうか?一時的にはうまくいったと思っても、また別の出来事によって、あるいは繰り返される出来事によって、心のつらさを繰り返してはいないでしょうか。
   自分がつらいのは、○○のせいだと言って相手を攻撃するパターンを繰り返しても、つらさから解放されません。
   何が本当の原因か考えましょう。そして、原因がわかったら、正しく対応してつらさから解放されましょう。


人生における代表的なつらさ

1.突然訪れる困難なできごと

『イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。』(新約聖書 マタイの福音書 8:23〜26)

   例えば、仕事がうまくいかない事態に陥ったり、体を壊すなど、予期せぬ出来事に出会うことがあるでしょう。湖にこぎ出したイエス様一行を突然襲った暴風雨は、ちょうどそのような人生の困難と受け取ることができます。この時、あわてふためく弟子たちとは対照的に、イエス様は眠っておられました。
   そして、おびえて助けを求める弟子たちに、「なぜ信仰を働かせずに怖がるのか」と言われたのです。つまり、あなたを不安にし、恐れさせているのは、神の言葉を信じないからだと言われるのです。どんな困難の中にあっても、神の言葉を信じていれば平安なのです。

   神は人を、土地のちりと神の霊(魂)という二つの要素で造られました。ちりは地上の物質であり、霊は神の命から受けたものです。
   聖書では、この世のものを表すときに「肉なるもの」という言葉を使いますが、この世で肉体を維持するためには「肉なるもの(地上の物質)」を食べなければ生きていくことができません。
   しかし、心は霊に属します。つまり、神の命に属しているので、心のつらさは神との関係でしかいやすことができません。それが信仰です。
   イエス様が「信仰の薄い者」と言われたのは、神との関係が薄いと指摘されたのです。
『人はパンだけで生きるのではなく、神の言葉によって生きる』(新約聖書 マタイの福音書 4:4)とイエス様は言われます。魂は神によって造られ、神からいただいたものです。神の言葉を食べなければ生きていけません。
   自分の体を考えてみるとわかると思いますが、何も食べない空腹もつらいし、間違ったものを食べてもお腹をこわしてつらい思いをします。
   私たちの心がつらいのは、神の言葉を食べないからです。


2.人間関係のつらさ

   人の言葉や態度によって傷つき、つらい思いをすることがあります。「○○さんがああ言った、こう言った。悪口を言われた。傷ついた。……」
   しかし、つらくなるのは、相手に悪口を言われたからでしょうか?
   違います。相手の言葉を信じたからつらくなったのです。
   人はそう言ったとしても、神はあなたのことをなんと言っているか?これが重要なことです。

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』(旧約聖書 イザヤ書 43:4)

   自分はダメだと思ったら、確かにつらいものです。しかし、神は聖書を通して私たちをどのように思っているかを伝えています。
   キリストが十字架にかかったのは、なぜでしょうか。愛してもいない者の身代わりに苦しみを受けて死んだりできるでしょうか。神はあなたをそれほどに愛しているのです。十字架はその証です。
   神は、あなたは高価で尊いと言っています。人は、お前はダメなやつだと言っています。どっちの言葉が真実でしょうか。
   人間関係でつらさを感じるのは、相手の言葉を信じるからです。それは神の言葉を信じないのと同じです。両方を同時に信じることはできません。
   イエス様が目に見えないから、信じられないのでしょうか。愛する人の姿が見えないと、見える人の言葉に惑わされてしまうのでしょうか。でも、そんな時ラブレターを読んで、相手がどれほどあなたを愛しているか、はっきりと知ることができたら確信を保つことができます。神があなたをどれほど愛しているか、たくさんの手紙をくださいました。それが聖書です。
   聖書を通して、神の言葉を食べることができるのです。つらくなるのは、相手のせいではなく、人の言葉という間違ったものを食べるからです。

『さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。』(新約聖書 コリント人への手紙第一 3:1〜3)

   この御言葉は、クリスチャンを2種類に分類しています。
   乳とは、人の言葉です。なめらかで表面的で一時的な満足を与えます。いっぽう堅い食物とは、神の言葉です。私たちの罪を示し、悔い改めによって深い平安に導きます。
   ねたみや争いという人間関係のトラブルを起こすのは、人の言葉を食べるからです。つらさの原因は人のせいではありません。あなたの食事に問題があるのです。堅い食物を食べないで、間違ったものを食べたせいであなたはつらいのですから、神の言葉を食べると平安になるのです。


3.言いたいことが言えないつらさ

   「お前がいけないからこうなったんだ!」それまで本当のことを言わずに、ある日突然爆発することがあります。言いたいことが言えないのは、本人が思っている以上につらいことです。ですから、この世のカウンセリングやトレーニングでは、本音を言わなければいけないと教えられます。
   しかし、なぜ本音を言えなかったのか?その原因を掘り下げてみると、別の解決方法が見えてきます。
   本音を言わないのは、相手に良く思われようとか、みんながそう言うからなど、人の顔色を伺った結果と言えます。なぜ、人の顔色を伺って、自分の言いたいことを押さえ込むのでしょうか。それは、人からよく思われたいからです。人の賞賛する言葉を食べたいからです。
   心は言葉を食べて生きています。人から賞賛される、認められる、特別だと思われる…そのような言葉を得るために、自分をかくして生きているのです。しかし、そうやって人の言葉を食べるからつらくなるのです。

『しかし、それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。会堂から追放されないためであった。彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。』(新約聖書 ヨハネの福音書 12:42〜43)

   当時の指導者にもイエス様を信じる人はたくさんいたにも関わらず、お互いに相手の顔色を伺って告白ができず、キリストを十字架につけてしまったのです。それを望まない人は大勢いたのにもかかわらずです。それは彼らが、人から褒められることを愛したからです。
   人の言葉を食べようとするから、人の顔色を伺うのです。本当につらさから解放されたければ、食事を変えるしかありません。

   また、つらくなったのはお前のせいだと相手を責めても何も解決しません。
   人から良い言葉を得るためには、条件がつくため、頑張れるときはいいけれど、頑張れないときは、その言葉がもらえなくなります。そのつらさから逃れるために快楽やストレス発散を求めるのですが、それでごまかしきれなくなった時に、人は爆発するのです。
   つらくなると人を責め、つらくなると何かに逃げる、これからもそんな生き方をしたいですか?

『さばいてはいけません。さばかれないためです。』(新約聖書 マタイの福音書 7:1)

   人を責めるのは、つらさの原因が相手にあると思うからですが、原因はそこにはないので、あなたには、相手をさばく理由がありません。あなたがつらいのは、あなたが神の言葉を食べなかったからです。あなた自身の問題です。決して相手のせいではありません。このことが分かっていれば、相手をさばくことはなくなるでしょう。でも、分かっていないから、人は平気で、人をさばくことができてしまうのです。そんなことをすれば、つらさは、ますますひどいものになるのです。つらさを解決する方法は、神の言葉を食べる、これしかありません。
   神の言葉を食べるとは、神の命令を守ることです。(Tヨハネ5:3)それは、神を愛し、人を愛することです。ですから、つらさから本当に解放されたければ、神を愛し、人を愛することを主に求めましょう。

『そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』(新約聖書 マタイの福音書 6:31〜34)