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2012年11月25日
『信仰の大盾』

『では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。』(新約聖書 エペソ人への手紙 6:14)

   主は私たちに、敵が放つ火矢を消すことができる信仰の大盾を与えてくださいました。信仰とは、試練を乗り越えることができる武器です。
   神を信じる信仰と、友達の約束を信じることとは違います。神を信じる信仰は、神が与えてくださるものです。それは、信念や思い込みの延長ではありません。いくら聖書を勉強しても、神から信仰をいただかなければ、信じることはできないのです。信仰とは神が私たちに与えてくれる賜物です。

『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身からでたことではなく、神からの賜物です。』(新約聖書 エペソ人への手紙 2:8)

   もし、あなたが神を信じたいと願うなら、「あなたを信じることができる信仰を与えてください」と祈れば良いのです。

   試練を乗り越えるには、信仰の大盾が必要です。神への信仰は、神がいつも共にいてくださるという事実が土台です。それが、神が与えた信仰の根拠です。しかし、信念や思い込みの土台は、自分自身です。そのようなもので、試練を乗り越えることはできません。


信仰の働きにはふたつあります。

1.イエス・キリストが神であることを信じる働き

『さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 するとイエスは、彼に答えて言われた、「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」』(新約聖書 マタイの福音書 16:13〜17)

   この当時「キリスト」とは、イエス様を意味する言葉ではなく、神を意味する一般的な言葉でした。多くの人はイエス様の言葉を聞き、預言者だと思いましたが、ペテロは神だとわかりました。「イエス様は聖書が言っている救い主なる神である」と、はっきり告白したのです。それは、神が信仰を与えたからだと主は言われます。
   このように、信仰の働きの第一番目は、神を知る、すなわち信じる働きです。一度信仰が与えられたら、誰も奪い取ることはできません。


2.神への信頼を増し加えさせる働き

   キリストが神であることを信じることはできても、試練に出会ったとき、神が必ず助け出してくださると信じるには、神への信頼がなくてはなりません。この神への信頼を育てるのも、信仰の働きです。

『信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 11:1)

   試練にぶつかった時、解決を信じる神への信頼があれば、私たちは心に安らぎ・平安を持つことができます。
   多くの人は人との関わりの中で平安を求めようとしていますが、誠の平安は、神との関わりでしか手に入れることはできません。神との関係を深め、神のまったき愛を信じることができれば、恐れを締め出すことができます。私たちが本当に欲している平安は、神を信頼することでしか手に入らないのです。この神への信頼を育てるのも、信仰の働きです。

   イエス様は、タラントのたとえ話の中で、神から与えられているタラント(信仰)を増やすように教えています。神は信仰を与えるから、増やしなさいと言っておられるのです。それが、あなたに報いをもたらします。主は問題を解決してくださるという信頼こそが、平安をもたらすのです。神は必ずあなたの信頼に答え、問題を解決してくださいます。

   私たちは、神からいただいた信仰を、普段から使っているでしょうか。信仰を使って神から平安を手に入れているでしょうか。人から手に入れようとしていないでしょうか。信仰なくしては、喜びも平安もありません。人からではなく、神から平安と喜びを手に入れましょう。


   では、与えられている信仰をどのように成長させれば良いのでしょうか。信仰は使えば使うほど成長します。どのように使い、どのように育てることができるのでしょうか。

@試練を生かす。困難な出来事はチャンス

『私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。』(新約聖書 ヤコブ人への手紙 1:2)

   信仰は使えば使うほど大きくなります。体の筋力と同じように、トレーニングを繰り返すことで、強くなります。信仰は、試練に出会うことによって成長します。試練はつらいものですが、残念ながら、人生で試練に出会わないことはありません。何度でもいろんな問題にぶつかります。それを神が与えたチャンスだと受け取って進みましょう。
   信仰は平安をもたらす宝であり、問題解決の力です。試練から逃げ出さないことが重要です。試練に対して、信仰で立ち向かう決心をしましょう。


A神の約束の言葉を信じる戦いをする

   神は私たちの願いを聞くと約束しておられます。しかし、そのために私たちが具体的にできるたった一つのことは、祈りです。ただ祈るだけ・・・これこそが忍耐を生じさせ、神への信頼を完全なものにします。

『信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。』(新約聖書 ヤコブ人への手紙 1:13)

   途中で諦めると忍耐は生じません。

『その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 1:4)

   「完全」とは神を信頼できる者です。自分の思いと神の思いがひとつに重なり、平安になるのです。私たちはもともとキリストの体の一部で、神と思いを一つにしていました。罪によってバラバラになってしまいましたが、神を信頼することによって、神と一つ思いになり、本来の自分の姿を取り戻し、もとの平安を取り戻すのです。

『あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。』(新約聖書 コリント人への手紙第一 10:13)

   あきらめずに祈り続けるなら必ず神が助けてくれるという確信を持てるようになります。


B脱出の道を探す

   脱出の道を探すこと、これが信仰の行いです。神への信頼は、行いによって確実なものとなります。多くの人は、この「行い」の理解が不十分です。信じていれば何もしなくてもいいわけではなく、信じて実行することで、信仰は確かなものとなるのです。
   例えば、バプテスマは信仰の行いです。聖書は、信じたら告白するように教え、バプテスマを受けるように教えています。この「告白」「バプテスマ」が行いです。心に信じるだけでなく、バプテスマを受けることによって、信仰の確信が増し加わります。
   試練から本当に脱出するためには、脱出の道を探し、主を信頼して行ってみることが大切です。何もしないで待っていてはいけないのです。

『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。』(新約聖書 マタイの福音書 7:7)

   本当に信じるならば、求めてご覧なさいと主は言われます。信じたことを実際に行ってみるとき、初めて本物の信仰になるのです。

『それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは死んだものです。さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行いを持っています。行いのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行いによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」』(新約聖書 ヤコブ人への手紙 2:17〜18)

『信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 11:17〜19)


   アブラハムは脱出の道があると信じました。その結果、我が子イサクを本気で捧げようとすることができました。そしてアブラハムは、その行いによって、義と認められました。

『たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。』(新約聖書 ヤコブ人への手紙 2:26)

   行いとは信仰のチャレンジです。信仰の行いのあるところに必ず道は開けます。初めは門前払いでも、祈っては出向き、祈っては出向きしているうちに、扉が開かれるのです。神は無計画に試練にあわせたりはなさいません。試練を与えたら、必ずチャンスにしてくださいます。祈って、確信を求めていけば、必ず平安がやってくるので、脱出の道を求めて進みましょう。
   神を信頼する平安を手に入れましょう。目に見える出来事は一時的です。神はその出来事を利用し、誠の平安を与えたいと考えておられます。それが永遠に残るものだからです。
   信仰を使いましょう。信仰は試練を生かし、信じる戦いをして探す行動を取る。その中で信仰が確実なものになります。信仰を使うことによって、さらに信仰が増し加わります。