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2012年4月8日イースター礼拝より
『神を信じる生き方と信じない生き方』
(新約聖書 ヨハネの福音書 11章25節)
有名なうさぎと亀の話があります。うさぎはなぜ亀に負けたのでしょうか。それは、うさぎは亀を見ていて、ゴールを見ていなかったからです。亀は、ゴールを見て進んでいました。ゴールを見ない生き方は、人のことばかりを気にして、何も得られなくなってしまいます。神を信じる生き方は、ゴールを見て歩む生き方になります。


さて、次の御言葉は、イエス様が復活された出来事を記したものです。

『さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか」とみなで話し合っていた。

ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。それで、墓の中に入ったところ、真っ白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます』とそう言いなさい。」

女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。』(新約聖書 マルコの福音書 16:1〜8)



神を信じられるかどうかは、神の存在の根拠を理解できるかどうかではなく、信じられるかどうかにかかっています。例えば、目の前に箱があり、その中にはリンゴが入っているとします。箱の中に本当にリンゴが入っているかどうかは、外側からでは分かりません。リンゴが入っていることを信じられるかどうかは、「入っている」という言葉を信じられるかどうかにかかっています。神を信じるのも、同じことです。神を信じるとは、復活のイエスの出来事を聞いて、それを信じることです。


では神を信じるのと信じないのではどのように生き方が変わってくるかを考えてみましょう。

・神を信じられるとどうなるでしょうか。


1.死は終わりではないと信じられるようになります。

イエス・キリストは、十字架にかかられ、死んだ後、三日目によみがえられました。イエス様は、十字架にかかられる前にこう言われました。

『イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」』(新約聖書 ヨハネの福音書 11:25)

イエス様の復活を信じると、私たちも同じように、死んでも生きるということを信じられます。死は通過点にすぎないことを信じられるようになります。そこには希望があります。


イエス・キリストが復活したのかという裁判をすると、科学的に立証でき、裁判では必ず勝つということを証明した人がいます。その内容の一部が以下のとおりです。


(1)キリストが復活された当時、キリスト教はローマ帝国の激しい迫害下にありました。その時代に、人々が命がけでキリストを信じたのは、イエス・キリストの復活を目撃したからとしか言いようがありません。もし、キリストの復活が嘘であったら、人々は復活を説くキリスト教を信じることはしませんでした。そうでなければ、あの激しい弾圧の中、命がけで信仰をもつということには至りません。


(2)神を信じない人にとっては、キリストの復活は神話のように聞こえるかもしれません。しかし、神話を作るには、2〜3世紀かかると言われています。記憶のある人が残っている限り、神話は作れません。ところが、福音書は、イエス様が復活されて2〜3年で書かれました。もし、嘘が書かれていたら、誰がそんなものを命がけで信じるでしょう。


(3)キリストが復活された後、礼拝を守る日が安息日(土曜日)から、日曜日に変わりました。イエス様は、日曜日に復活されました。そのことを記念して、土曜日から日曜日に変わったと言われています。神を信じる者にとって、礼拝を守る日は一番大切な日です。何千年も伝統的に守られてきたその大切な日を、別な曜日に変更できるのは、イエス様の復活があったからと言わざるを得ません。


その他にも、幾つも論証ができますが、この裁判を論証した人は、「イエスの復活は神話だったと信じるのは、イエス・キリストが復活したということを信じるよりも、もっと難しい」と言っています。


2.イエス・キリストを信じられると、人生はやり直しができると信じられます。

多くのクリスチャンが、イエス様を信じ、人生をやり直してきました。それは、神は私たちの罪を赦すために十字架にかかられ、過去はイエス様が消してくださるからです。ですから、やり直させてくださるという希望を持つことができます。


3.イエス・キリストを信じられると、困難に直面したとき、祈ることができます。

困難にぶつかったとき、頼れる方がいるということは、どんなに素晴らしい恵みでしょうか。神を信じられるならば、困難にぶつかったとき、祈れます。神は助けてくださる方だと希望を持つことができるのです。


・神を信じられないとどうなるのでしょうか。


1.死の先に希望がありません。

死が近づくにつれて、恐れを抱いて生きていかなければなりません。


2.人の愛を求めて生きていかなければなりません。

人の愛を求めるということは、人からよく思われなければいけません。いつも人の目を気にして生きていく生き方は何と苦しいことでしょう。人からどう思われているかに一喜一憂し、人からよく思われるために頑張らなければなりません。心に平安はありません。


3.神を信じられないと、困難に直面したとき頼る方がいません。

いつも周りのせいにし、周りを憎むしかなくなってしまいます。それしか、つらさを紛らわす道を知らないからです。困難は絶望になってしまいます。


神を信じる生き方と、神を信じない生き方、どちらが良いでしょうか?いうまでもなく、神を信じられることです。イースターは、人類にそんな問いかけをしています。