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2011年12月4日
『心のダイエット』
(新約聖書 マタイの福音書 11章28〜30節)
私たちは、体重が増加しないように、気を遣いながら生活していますが、心の重さには気を配っているでしょうか。私たちの心は、知らず知らずのうちに、重荷で膨れあがっています。イエス様は、そんな私たちにこう言われました。


『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたが たを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』(新約聖書 マタイの福音書 11:28〜30)


では、何が人の重荷になっているのでしょうか。以下の三つがあげられます。


1.過去への後悔 あのときこうしておけば・・・という思い
2.将来への負担 このまま生活していけるだろうか・・・という心配
3.コンプレックス 体、能力、財産・・・自分はダメだという思い

これらが私たちの重荷となっています。心が病んでしまう人たち、落ち込みやすい人たちは、このようなことを考えるのに、あまりに多くの時間を使っていると言われますが、今も昔も、人が悩むことの内容は変わりません。みな、上記のようなことで思い悩んでしまうのです。では、イエス様は、どのように重荷を下ろすと言っておられるのでしょうか。


1.「わたしのところに来なさい」

まずは、神のところへ行くことです。イエス・キリストを神と信じ、神のもとに行かなければ、重荷を下ろすことはできません。


2.「休ませてあげます」

休ませるというのは、どういうことでしょうか。過去への悔やみ、将来の不安、コンプレックスは、見えるものにしがみついているときに起きる症状です。人は見えるものを少しでも良くしたいから悩みます。しかし、聖書は、見えるものにしがみつくことを罪と呼んでいます。私たちの心が、神ではなく、見えるものを頼ること、それが罪なのです。

神は、私たちの重荷を原因から取り除くことで、休ませてくださいます。自分が悩んでしまうのは、見えるものにしがみついているからだということに気づいて、それを神に差し出しなさい、と言っておられます。そのとき、神は、私たちの罪を赦して、取り除いてくださいます。つまり、休ませるとは、罪を取り除かれるということです。これが、まことの安らぎ、私たちが休むことができる唯一の道なのです。


3.「くびきを負いなさい」

くびきとは家畜に荷物を運ばせるとき、首につける木のことです。そんなものがつけられたらかえって自由が奪われ、重荷が増すと思われるかもしれませんが、この意味は全く違います。神のくびきは負いやすく、その荷は軽いのです。これは「生きる意味を神に聞きなさい。」という意味です。神には人を造られた目的があります。その神の計画を聞き、自分は何のために生きているのかということが分かるとき、人の心は軽くなります。自分の役割に気づいて、それをやっていきなさい、ということです。神が造られたその目的に沿って人は生きるように造られているので、その人にとって神の目的に生きることは、負いやすくその荷は軽いのです。


人は自分など役に立たないと思うかもしれません。しかし、私たちの体を見れば分かりますが、どの部分も大切で、決して不要な部分などありません。イエス様は、そのことを教えるために、エルサレムに入場される最も華々しい瞬間に、誰も乗ったことのないロバの子、すなわち人々から価値がないと思われるものに乗って入場されました。人々は、みな、イエス様なら、町で一番の馬に乗って登場するのが相応しいと思ったことでしょう。しかし、イエス様は、あえてロバの子に乗られたのです。


誰にでも、神に造られた目的があります。自分は不要だと思う人がいるなら、それは愚かなことです。神に自分の造られた目的を聞き、そして、その目的のために生きていきましょう。