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2011年9月11日 礼拝メッセージ
むなしさの答え
(新約聖書 ヨハネの福音書 21章)

『シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちもいっしょに行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。』(新約聖書 ヨハネの福音書 21:3)


ペテロは、イエス様がいなくなり、心に大きな穴が空いてしまいました。手持ちぶさたのペテロは、元々の職である、漁に出ていくことにしましたが、何の収穫もありません。この出来事は、神なしでは何をやっても空しいということを象徴しています。神抜きに自分の力で生きていこうとしても、心は空しいままです。


『シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。』(新約聖書 ヨハネの福音書 21:11)


自分の考えで漁に出た時は何の収穫も得られなかったペテロでしたが、主の言葉に従ったとき、驚くほどの魚が獲れました。しかも、網が破れて当然なほどの大漁であったにも関わらず、網は破れませんでした。網は、漁師にとって生活の必需品です。このことから分かるのは、常識的には、これで終わりだという状況であっても、神が守ってくださるということです。


『イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか。」とあえて尋ねる者はいなかった。イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。』(新約聖書 ヨハネの福音書 21:12,13)


イエス様は、一緒に食事をしようと弟子たちを誘っています。これには、神は私たちといつも共に生きてくださるというメッセージが込められています。

神は、私たちを守り、私たちと共に生きてくださいます。神抜きの人生は空しいものです。では、私たちの心がどうして空しさを覚えるのか、もう少し掘り下げて考えてみましょう。


私たちは、キリストのからだの一部として造られました。それぞれ、目的があり、役割があって造られました。しかし、人が罪を犯したために、その罰として「死」が私たちの中に入り込みました。「死」には、肉体の死と霊的な死という二つの意味があります。肉体の死は、魂と肉体が分離することです。霊的な死は、神とのつながりが絶たれることです。


アダムとエバから入り込んだ「死」は、私たちに引き継がれ、私たちは、生まれながらに、「死」をこの身に帯びて生まれて来ました。だから、生まれながらに神を信じているものはなく、人はみな、肉体の朽ちるときが来ます。


キリストのからだの一部として造られたにもかかわらず、神とのつながりが絶たれた状態で生まれて来た私たちは、自分が何者なのか分かりません。何の為に生まれて来たのか、自分の存在の意味が分かりません。それが霊的な死のもたらす苦しみです。


この苦しみが「空しさ」なのです。これは肉体の死の恐怖よりもはるかにつらいものです。イエス様は十字架にかかられる前、血の汗を流しながら苦しみもだえ、祈られました。イエス様は肉体の死を恐れたのでなく、霊的な死を恐れて祈られたのです。たった三日と知ってはいても、三位一体で結ばれた神の関係が絶たれることが、そのような苦しみをもたらしたのです。


生まれながらに神を知らない私たちは、霊的な死からくる苦しみ、空しさを、自分に価値を見いだすことで紛らわそうとしています。人から良く思われ、称賛されることで、自分の価値を量り、空しさから這い上がろうとします。人がみな頑張って、偉くなろうとするのは、霊的な死がもたらした生き方なのです。しかし、心に空いた大きな穴は、そんなものではふさがりません。


神に何の為に造られたのか聞かなければ、心の穴はふさがらないのです。 ペテロは、自分が何の為に生まれてきたのか、その答えをイエス様から教えていただきました。


『「彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」・・・」』(新約聖書 ヨハネの福音書 21:15〜17)


イエス様は、ペテロに三度、この同じやりとりを繰り返されました。そして、ペテロは、主の愛に気づき、自分の人生の目的に気づいたのです。その後、彼の心から空しさは消え、新しい人生を歩み出したことを聖書は教えています。


『私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。』(新約聖書 エペソ人への手紙 1:3〜5)