ホームに戻る 教会の紹介 集会の案内 礼拝メッセージ アクセス English ノアの紹介
メッセージ集TOPへ
2011年7月17日 礼拝メッセージ
平安を持つため
(新約聖書 ヨハネの福音書 16章12〜33節)

『しばらくするとあなたがたは、もはやわたしを見なくなります。しかし、またしばらくするとわたしを見ます。」そこで、弟子たちのうちのある者は互いに言った。「『しばらくするとあなたがたは、わたしを見なくなる。しかし、またしばらくするとわたしを見る。』また『わたしは父のもとに行くからだ。』と主が言われるのは、どういうことなのだろう。」』(新約聖書 ヨハネの福音書 16:16〜17)


この御言葉は、イエス様が十字架にかかられ、三日後に復活されることを説明したものです。十字架という苦難が、栄光に変えられることを、イエス様は続けて、女性が子どもを産むようなものだと話されました。


『あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。』(新約聖書 ヨハネの福音書 16:20〜22)


イエス様の十字架から、苦難は栄光に変えられるという神様の法則を見いだすことができます。私たちが直面する様々な苦難も、神様は必ず栄光に変えてくださいます。

イエス様は、続けて、求めなさいと言われました。


『あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。』(新約聖書 ヨハネの福音書 16:24)


イエス様からすると、弟子たちはまだ本気で求めたことがありませんでした。本気で求めるとは、途中であきらめないことです。私たちは、神様に本気で求めたことに対し、それが応えられると、神様への信頼が増し加わり、喜びに満たされます。ですから、イエス様は、あきらめないで求めなさい、と言われているのです。聖書は、このように一貫して、求めなさい、そうすれば与えられる、ということを教えています。ここにも、神様の法則を見いだすことができます。


『わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」』(新約聖書 ヨハネの福音書 16:33)


イエス様は、苦難は栄光に変えられ、求めれば与えられる、ということを話された上で、これから弟子たちの身に起こることを話されました。それは、彼らが苦難にあっても平安を持つためでした。


イエス様が言われる平安とは、世が与えるものとは違います。世の中が与える平安は、見えるものを手にすることで得る平安です。確かに、見えるものを手にすれば安心できるように思いますが、それは束の間で、実は見えるものを手に入れると、平安以上に、大きな不安を手にしてしまうのです。せっかく手に入れたものを失ったらどうしようと、不安が襲ってきます。また、見えるものは、どんなに大事にしようと、やがて滅びる性質を持っています。ですから、世の与える平安は、常に不安が伴うという欠陥があります。


しかし、神が与える平安は、神への信頼からなります。誰も神が下さる平安を奪い取ることはできません。神は滅びることもなければ、失う心配もありません。イエス様は、十字架の御業(私たちを苦しめる死を無効にし、罪から解放してくださること)を予見して「私はすでに世に勝っています。」と言われました。神が与える平安は、イエス様の十字架の勝利を信じることから頂けます。