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2011年5月1日 礼拝メッセージ
香油を塗るマリヤ
 (新約聖書 ヨハネの福音書 12章1〜19節)

『イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。・・・マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。・・・
ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」しかしこういったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。
イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。・・・」』(新約聖書 ヨハネの福音書 12:1〜8)


マリヤはなぜ、イエス様の足に香油を塗ったのでしょうか。11章で見たように、ラザロが復活するというイエス様の言葉をマリヤをはじめ他の弟子たちは信じませんでした。実際にラザロが復活するのを見て、彼女が悔い改めたことが想像できます。悔い改めを裏付けるのがこの行動です。本当に罪ゆるされた体験をした人は、感謝が生まれるからです。


ユダは彼女の行動をさばきます。言っていることは正当性があるかのように見えますが、彼はお金を着服したかっただけでした。私たちも人をさばく時、実は自分の欲求を満たしたい願望がそこに隠れています。人の欲求とは、良く思われることと富を得ることです。さばくことで相手を低くし、自分を高くすることができます。私たちはそれをやってしまっていることに気づく必要があります。


イエス様は彼女の行動をそのままにさせるよう言われました。さらに別の箇所では、彼女の行為を最高の表現でほめています。人の行ないを神がほめるのは大変珍しいことです。神がほめる行い、神が喜ばれる行いとは、どういうものなのでしょうか。彼女の行動を通して見てみましょう。


1.見返りを期待しない行ない

人の行動はたいてい見返りを期待しています。しかし、彼女は先にもふれたように自分のつぶやき、不信仰を悔い改め、ゆるされたことへの感謝から行動しました。


2.約束を信じた行ない

「わたしの葬りの日のために」とイエス様は言われました。ご自分が十字架にかかって死なれることを語ったイエス様ですが、弟子たちはそれを信じませんでした。しかし、マリヤは悔い改めて後、今後は主のことばを信じると決めて、十字架のことも信じました。そして、十字架にかかる主のために自分は何をできるかを考え、行動したのです。イエス様は彼女がご自分のことばを信じたがゆえに行動したことをご存知でした。


3.愛がある

愛といっても、人が思う愛とは違います。Tコリント13章に、愛について書かれています。どんなに立派な行いも愛がなければ意味がないとあり、愛は寛容であり、親切です…と続きます。その後半にこうあります。

『すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。』(新約聖書 コリント人への手紙第一 13:7)

愛は、すべてをがまんし、信じ、期待し、耐え忍ぶ…これは、神への信頼を表しています。つまり、愛とは神への信頼です。私たちがこの世で死んで、手にするものは何でしょうか。神の国へ持って行けるものは何でしょうか。それは、神への信頼だけです。神は私たちと信頼関係を築きたいのです。このことを踏まえて、御言葉を見てみましょう。がまんするのは富への欲望です。それは神への信頼を妨げるからです。信じ、期待するのは神のことばです。つまり、ここに書かれているのは神を信頼するための戦いです。

神が喜ばれるのは、このように神への信頼を増し加える行動です。ですから、何をするにしても、神に祈り、信頼する中で行なうことが大切です。


このことがあった翌日、イエス様はエルサレムへロバに乗って入られました。そのことが旧約聖書に預言されていたのですが、なぜロバに乗られ、そのことが預言されるほど大事なこととして神は語っておられるのでしょうか。


1.人の価値はうわべにはない

王はロバなどに乗らず、馬車に乗るでしょう。この世界を造られた神はすべての上に立つ王です。その神が、馬車でなくロバに、それも誰も乗りたがらないほど、見捨てられたロバに乗られました。私たちは互いの容姿、身につけるもの、住む家、乗る車、能力等、見えるもので互いの価値を判断します。しかし、神は私たちの間違った価値観を打ち砕くため、あえて人の常識の逆をされることがよくあります。外側に見えるものはその人の価値ではありません。どれも努力して手に入れたものではなく、預かりものにすぎません。私たちが誇れるのはキリストの愛だけです。


よみがえったラザロとは別のラザロと金持ちの話があります。ラザロは金持ちの家の前で物乞いをしていましたが、ラザロも金持ちも死にます。金持ちが気づくと自分は苦しみの中におり、ラザロは神から慰めを受けていました。二人の違いはどこから来たのでしょうか。ラザロは地上において、人の価値観からすると価値あるものを何一つ持っていませんでした。しかし、彼は神への信頼を増し加えていたのです。一方、金持ちは価値あるものを持っているようで、本当に大切なこと(神への信頼を増し加えること)を何一つしていなかったのです。


2.神は弱いところに働かれる

人は強くあろうとして自分の弱さを隠します。しかし、弱いところがあるからこそ、神がそれを助け、働かれ、栄光があらわされるのです。

『・・・からだの中で比較的弱いとみられる器官が、かえってなくてはならないものなのです。』(新約聖書 コリント人への手紙第一 12:22)


3.不必要な者はいない

すべての者は神が素晴らしい存在として造られました。神はその一人一人に目を留めておられます。


この地上での人生は、神への信頼を増し加える大切な時です。つぶやきを悔い改め、うわべのことに惑わされず、神を信頼して行動することを積み重ねていきましょう。