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2011年4月10日 礼拝メッセージ
イエスの涙の意味
(新約聖書 ヨハネの福音書 11章1〜37節)

神が私たちに望んでおられること、それは神を信頼することです。神への信頼、それが私たちの目指すべき生き方です。すべての問題の解決もそこにあります。人が望むものは幸せ(平安)であり、いつまでも変わらない平安は、神のことばを信頼できることから得られるからです。人は平安を得ようと富を求めますが、富は平安をもたらしません。


イエス様の良く知る人物であるラザロが死にました。イエス様は彼が復活し、神の栄光があらわされると弟子に語り、ラザロの姉妹でイエス様の教えを良く聞いていたマルタとマリヤに語りました。しかし、弟子はそのことばを自分の枠で理解しようとして、的外れな解釈をし、イエス様のことばそのままを信じようとしませんでした。


マルタは神には何でもできると言いながら、ラザロに関してはもう手遅れだと嘆き悲しみ、マリヤも同様に嘆き悲しみました。イエス様は、ラザロが復活すると語られたのに、その言葉を信じられないのです。


私たちも、神のことばに対して、弟子たちやマルタ、マリヤと同じような態度を取っているのではないでしょうか。自分の枠の中で納得できれば受け入れ、枠に収まらないとうけいれなかったり、神には何でもできると人を励ましながら、自分のこととなるとあきらめてしまったりということがないでしょうか。


そんな人々の不信仰を見て、イエス様は涙を流されました。では、私たちはどのように、神を信頼していけばよいのでしょうか。


1.神のことばを信じる戦いをする

神のことばを自分の枠にはめて理解しようとしてはいけません。神のことばはそもそも人には理解できないのです。自分の枠の中で納得して受け入れるのは、信じていることになりません。それは、いざ問題にぶつかったときに役に立ちません。本当に信じている人は、問題にぶつかった時も平安があります。理解しようとするのではなく、信じようと努力することが必要です。


2.怒りを避ける

怒りは御言葉を排除します。次の御言葉にある通りです。

『・・・誰でも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられた御言葉を素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。』(新約聖書 ヤコブの手紙 1:19〜21)


3.すべてのことを感謝する

『いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。』(新約聖書 エペソ人への手紙 5:20)

すべての災い、失敗、後ろを振り向いてしまうような出来事があっても、感謝するよう神は言われます。それは、神がすべてを益に変えることができるからです。神は私たちに心配するなと言われます。心配するのは神の仕事だから任せなさいと言われます。私たちの仕事は心配を委ね、神に感謝することです。感謝が心を前に向け、つぶやきを打ち負かし、神への信頼を育てます。


神への信頼を私たちの心に育てていくために、これらのことをチャレンジしていきましょう。