ホームに戻る 教会の紹介 集会の案内 礼拝メッセージ アクセス English ノアの紹介
メッセージ集TOPへ
2011年3月20日礼拝メッセージ
『神の罰?』

今回の大震災のような災難を私たちはどのように捉えているでしょうか。人間の罪のために神の怒りに触れ、罰があたった、あるいは神からの警告であるといった考えは、間違っています。この考えは神に対する間違った認識に基づいています。「行い=人の価値」という価値観によって、神に対しても、悪い行いに罰を与え、良い行いを褒める方とだと捉えているのです。この考えに基づいて生きるクリスチャンは、罰を恐れるがゆえに良い行いをするようになり、神と距離を置き、近づこうとしません。


では、聖書が教える神はどういう方でしょうか。それは、イエス様によってあらわされています。聖書に記されたイエス様の言動を見ることで、神がどういう方かを知ることができます。


『あなたがたは肉によってさばきます。わたしはだれをもさばきません。』(新約聖書 ヨハネの福音書 8:15)

『神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。』(新約聖書 ヨハネの福音書 3:17)



イエス様は人が罪を犯すのを見て、さばかれたことはありません。人の罪に際し、いつも赦しているのです。その代表的な場面が、姦淫の現場で捕えられた女性のエピソードです。神は人を罰するという人の勝手な想像が、神のイメージを曲げています。


『そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 2:24)


「罪を離れ」とは罪と戦うことです。「いやされた」とあることから、罪を病気と捉えていることが分かります。イエス様は私たちの罪という病をいやすために、いのちを差し出されたのです。


『だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。私は世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。 わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れないものには、その人をさばくものがあります。わたしが話した言葉が、終わりの日にその人をさばくのです。』(新約聖書 ヨハネの福音書 12:47,48)


イエス様は罪を罰するためではなく、救い(魂の回復)のために来られました。罰はただ一つあります。それは、イエス様を拒むものは神の国に入ることができないという罰です。罪に気づかせるためにむちを与えることはありますが、それは罰ではなく、愛による意味あるものです。


こうしたことから生まれる神の正しいイメージは、羊のためにいのちを捨てる良い牧者です。人は自分をさばく人と親しくなろうとはしません。しかし、神が良い牧者である方だと知れば、神ともっと親しくなりたいと思うのです。


では、災難が神の罰でないなら、どのように捉えればよいのでしょうか。まず確認しておく必要があるのは、自然災害、戦争、病気といった事柄は、神が起こしているのではないということです。神はそうした事柄からの復興、そして栄光にすることに関わり、一貫して私たちを助ける方です。


『そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 5:3〜5)


神はどのように患難を希望に変えられるのでしょうか。永遠のいのちを与えられた私たちにとって地上のすべては神の栄光への通過点です。神の栄光とは、神への信頼が増し加わることです。神への信頼は、患難を通じて増し加わり、それが神の栄光となるからです。それが私たちのゴールです。


患難の時、何が必要でしょうか。ある人が患難と感じる時、そこには「出来事」と「つらさ」の両方があります。もしその人が「つらさ」を感じていなければ患難ではありません。多くの場合、問題解決のために出来事への対処に終始してしまいますが、本当の解決のためには、「つらさ」を解決する必要があります。


「つらさ」の解決、それは神への信頼を増し加えることです。神を信頼できないことがつらさの原因だからです。神を信頼できないつらさに閉じ込められた人を、神は自由にしたいのです。そのために、神はすべての災いを益に変えることができる方です。


『神を愛する人々、すなわち、神の御計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』(新約聖書 ローマ人への手紙 8:28)

神は、すべてのことを益にして、神への信頼へと変えようと働いておられますが、私たちの側が、それを妨げてしまうものがあります。それは、以下の3つのことです。


1.さばく

誰に対しても、さばきそうになったら祈りましょう。


2.つぶやく

何事に対しても、つぶやきそうになったら祈りましょう。


3.振り返る

過去を振り返るのではなく、主を見上げましょう。


これらは、神の働きを邪魔するものです。 誰の心も、みな災害を受けています。その復興のために、イエス様は働いておられます。つらさを感じるとき、さばいたり、つぶやいたり、振り返るのではなく、私たちの良い牧者である神を信頼することを選び、回復していただきましょう。