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2011年2月13日礼拝メッセージ
『エゴーエイミー』(新約聖書 ヨハネの福音書 8:25〜59)

25節でパリサイ人たちは、イエス様に「あなたはだれですか。」と問います。それに対し、イエス様は「エゴーエイミー」という言葉を使われました。英語では”I Am"、日本語にすると「わたしはある」という意味です。この言葉は、出エジプト記での神とモーセとの会話の中で登場します。


『モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところへ行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。という者である。』…』(旧約聖書 出エジプト記 3:13〜15)


ユダヤ人の誰もが、「エゴーエイミー」父なる神の称号であることを知り、大切にしてきました。その称号をイエス様が自分に使われたことで、大祭司は激怒し、神を冒涜したとしてイエス様を殺す決意を固めたのでした。


イエス様が御子と呼ばれることから、父なる神よりも格下であるかのように誤解されがちですが、神様の側からしてみれば、父なる神もイエス様も、さらには聖霊様も三位一体の神で同等であり、一つの意志でともに働いておられます。ですから、イエス様がご自身を「エゴーエイミー」と名乗るのは当然のことです。父なる神、イエス様、聖霊様が共に働いておられることを示す箇所をいくつか見ていきましょう。次の箇所では、天地創造において父なる神もイエス様も聖霊様も関わっておられたことが分かります。


『初めに、神が天と地を創造した。・・・やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。』(旧約聖書 創世記 1:1,2)

『なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。・・・』(新約聖書 コロサイ人への手紙 1:16)


神様と断絶していた私たちに再び神様との交わりを回復してくださった恵み、ここにおいても三位一体の神が働いておられます。


『すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、…』(新約聖書 コリント人への手紙第二 5:19)

『私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。』(新約聖書 エペソ人への手紙 2:18)



私たちの罪を赦し、義としてくださる恵みにおいても同様です。


『平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。』(新約聖書 テサロニケ人への手紙第一 5:23)

『キリストがそうされたのは、御言葉により、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、』(新約聖書 エペソ人への手紙 5:26)


また、私たちとともに住んでくださる神としても同様です。


『こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。・・・』(新約聖書 エペソ人への手紙 3:17)

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 8:9)



ヨハネの福音書に戻りますが、イエス様の言葉を聞いてイエス様を信じた人々に、イエス様はこのように言われました。 「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」


「自由になる」と言われて、彼らは自分たちは奴隷でもないし、不自由ではないといぶかしがりました。しかし、神から見れば、人はみな罪の奴隷です。神の前に罪を犯さない人は一人もいません。人はみなその罪の罰を受けて必ず死ぬ運命にあります。みな溺れているのにそれに気づかず、自由だと思っていることが、人の悲劇です。


私たちの罪とは、見えるものに自分の価値を置くという罪です。神が私たちのいのちに価値があると言っているのに、また、私たちを愛していると言っているのに、必ず助けると言っていいるのに、神のことばを信頼せず、見えるものを信頼する罪です。そこから人と自分を比較し、怒り、嫉妬、といったものが生まれます。


真理が自由にするとは、イエス様を信じることで私たちは罪から救われ、自由になるということです。神を信じる者は、神のことばに聞き従うとイエス様は言われました。(47節)御言葉に従おうとするほどに、神を信頼せず、見えるものに自分の価値を置いている自分の現状に気づきます。それを悔い改め、神に助けを求め、主を信じて従っていきましょう。