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2010年12月26日 礼拝メッセージ
『信じなさい』
(新約聖書 ヨハネの福音書 6章23節〜37節)

群衆は、イエス様の奇蹟によってパンと魚を食べて満腹したので、またそれを求めてイエス様を探して来ました。それをわかっていたイエス様は、こう言われました。


『なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。…』(新約聖書 ヨハネの福音書 6:27)


私たちはなぜ神を礼拝するのでしょうか。私たちもなくなるパンを求めているのではないでしょうか。なくなるパン、すなわち目に見えるものを求めるとは、自分の願い事をかなえること求めることです。


クリスチャンであっても、これまで生きてきた中で、外側の出来事の善し悪しで自分の価値を判断してきたので、自分の価値を高めるために出来事を良くしようとして頑張る生き方をしてしまうのです。見えるものに自分の価値を置くために、嫉妬、ねたみ、落ち込みなど、私たちの心につらさが生じます。


しかし本当は、私たちの価値は、見えるものによって変わることはありません。私たちの価値は神に結びついています。私たちは神を素晴らしいと言います。その素晴らしい神と結びついている私たちは素晴らしいのです。私たちは神に造られたものであり、キリストの体の一部です。ですから頑張って出来事を良くしようと、失敗して出来事が悪くなろうと、私たちの価値は変わらないのです。


私たちが自分の価値を見えるものに置き換えるようになったのは、アダムとエバが善悪を知る知識の実を食べた時に始まります。その時以来、人は善悪を神に聞くのではなく、自分で判断するようになり、自分の価値も、自分で判断するようになったのです。その判断基準は見えるものであり、人からの評価です。ここから生じたすべてのつらさを解決するのは、この間違った考え方を正しい考え方に切り替えることです。そのためにイエス様は来られ、この箇所でもそのことを語っておられるのです。


『イエス様の奇蹟を求めてきた人々は、イエス様の言葉を聞き、なくなる食物ではなく、神が与える食物を受けるにはどうしたらよいか尋ねました。それに対してイエス様はこう言われました。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」』(新約聖書 ヨハネの福音書 6:29)


つまり、イエス様の言葉を信じることだと言われました。しかし、彼らはイエス様を信じるためにマナのような見えるしるしを求めました。彼らはなかなか信じることができません。


一般的に、子どもの方が信じやすく、大人になるほど信じることが困難になるのは、子どものうちは自分の価値と結びつけるものが少なく、大人になるほどそれが多くなるからです。言い換えれば、大人になるほど、見えるいろんなものにしがみつくので、それを手放すことが困難なのです。そのため、彼らも、今しがみついているものを手放す代わりに、新たにしるしという目に見えるしがみつくものを要求しているのです。


イエス様は、マナは天からのパンではないとし、こう言われました。

『「…わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。というのは、神のパンは、天から下ってきて、世にいのちを与えるものだからです。」 そこで彼らはイエスに言った。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来るものは決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしないと、わたしはあなたがたに言いました。父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。…」』(新約聖書 ヨハネの福音書 6:32〜37)


イエス様は天からのパンを求める人々に、それはわたしを信じることだと言われます。イエス様のもとに行く人を神は決して捨てないと言われます。永遠のいのちが与えられている、それは神がいつもともに生きておられるということです。この素晴らしい恵みを私たちはいただいています。今はまだ古い間違った考え方によって、出来事に惑わされることがあっても、そのたびにイエス様のことばに信頼しましょう。イエス様はともにおられるので、私たちの考え方を少しずつ神の考え方に変えていってくださいます。