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2010年12月19日クリスマス礼拝メッセージ
『肉の眼鏡を外すために来られたイエス』

イエスは、世の罪を取り除くために来られました。
罪とは一体何でしょうか?

神が人にされた最初の注意(創世記2:16-17)にその答えが隠されています。 神は、善悪の知識を取って食べることを禁じられました。罪とは、善悪(価値)を自分たちで勝手に判断する事を意味します。神は、その罪が人に入らぬよう、善悪の知識の木からは食べてはならないと言われました。人が神の命令に背き、入り込んでしまった「人の善悪の判断基準」(肉の眼鏡)こそが、罪を生み出す根源です。


肉の眼鏡は、どんな特徴があるのでしょうか。

それは、まず、この眼鏡を掛けていると、見えるものしか信じられないということです。肉の眼鏡を通してでは、目に見えない、創造主を信じることができません。また、冷静に考えればおかしいことを、あたかも本当のように信じさせられてしまいます。現代では、多くの人が進化論を信じています。しかし、進化論を信じることは、かつて人々が地球は平らだと信じていたのと同じです。人々が地球を平らだと信じていた時代は、誰もその考えをおかしいと思いませんでした。しかし、科学が進歩すると、そのことが過ちだったと気づきます。今、「地球は平らだ」と言ったら、誰もがおかしいとすぐ分かります。進化論についても、やがて、そんなことを信じていたのかと笑う時代が来るでしょう。


次に、肉の眼鏡の特徴は、見えるところに富を追い求めさせてしまいます。富を追い求めると、何が起きるでしょう。人々は、我こそはより良い富を手にしたい、と思い、人と競い、争います。やがて、戦争が起きます。

『金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。』(新約聖書 テモテへの手紙 第一 6:9〜10)


富を求める生き方は、見えるものばかり追いかけるので、私たちの心に与えられている本当の宝に気づかないようにさせてしまいます。


さらにこの眼鏡は、行いで人の価値を見させます。容貌、富、能力・・・を良くしようとすると必ず比較が生じ、つらい気持ちになってしまいます。私たちは小さい頃から「誰々さんみたいになりなさい」と言われて育ち、誰かがほめられているのを見ると、「ああいう人になれば、私も愛される」と思って、本当の自分ではない自分を演じて生きてきました。その生き方は、神が下さったいのちの価値を否定する生き方なので、心がつらくなってしまいます。


このように、肉の眼鏡が、人を苦しめ、人に罪を犯させています。イエス・キリストは、これを取り除く為に来られました。神はどのようにこれを取り除くのでしょうか。それは、愛を伝えることでされます。


ザアカイの話を思い出してください。彼は、背が低く、自分なんか愛されるはずがないと思っていました。人に意地悪をし、人から嫌われることをして生きてきました。しかし、そんな彼のところに、イエス・キリストは、「今夜、あなたのうちに泊まることにしているから」と言われました。泊まるというのは、信頼していなければできません。彼は、無条件に愛される経験をしたのです。ザアカイは、神の愛に触れ、人生が180度変えられました。彼の生き方が変わったのは、肉の眼鏡が外されたからです。


また、姦淫を犯した女性のことを思い出してください。彼女は、こんな汚い自分が愛されるはずがないと思っていました。しかし、イエスは無条件で彼女を赦し、受け入れました。彼女のその後の人生は一変し、彼女は新しく生きるようになりました。


人は、愛されると変わるのです。肉の眼鏡は、人の努力や功績によって外せるものではなく、神の無条件の愛によってしか外すことができません。


『神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。』(新約聖書 ヨハネの手紙 第一 4:9)