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2010年5月23日 礼拝メッセージ
『外側はきよめるが中は強奪と放縦でいっぱい』
(新約聖書 マタイの福音書 23章23〜39節)

『忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。』(新約聖書 マタイの福音書 23:23)


イエス様はパリサイ人、律法学者たちに対し、見えるところは立派にしていても、もっと重要なことである、神と人への愛という見えない部分をおろそかにしていることを指摘していますが、これらの言葉は、私たちに対する言葉でもあると受け止めることができれば幸いです。


ただし、他のほうもおろそかにしてはいけませんとありますが、私たちの抱える様々な問題の原因は、神を頼らず、見えるものにすがっていることです。収入の十分の一をささげると、神に頼らざるを得ないでしょう。見えるところを良くするためではなく、神がおっしゃるがゆえにそのことばを守ろうとする時、心が神に向いていきます。


『目の見えぬ手引きども。あなたがたは、ぶよは、こして除くが、らくだはのみこんでいます。忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。』(新約聖書 マタイの福音書 23:24〜26)


人はなぜ外側を良くしようとするのでしょうか。それは、そうすることで心のつらさから解放されると思っているからです。人は心がつらくなるのは出来事のせいだと思っています。その代表が人からの言葉です。外側を良くし、人の反応を変えればつらさから解放されると思うのです。しかし、それは間違いです。


人は心に神の愛を宿すように造られています。ですから、神を愛し、人を愛する時に平安があり、そのような愛がない時、つらくなるようにできているのです。神を愛するとは、言いかえれば、神を信頼することです。しかし、神を信頼できず、つぶやくとき(不信仰)、心がつらくなります。また、人を愛せないとき、すなわちさばいている(怒り、憎しみもそれに含まれる)状態のとき、つらくなります。つまり、つらさの原因は不信仰か、さばいているかどちらかということになります。


困難にあうことがつらさの原因だとこれまで思ってきたかもしれませんが、困難に際し、つぶやくという対処をしたことが、真のつらさの原因なのです。また、人から悪く言われた時、その言葉がつらさの原因なのではなく、そのことで相手をさばくという対処をしたことが、真のつらさの原因です。ですから、出来事を変えたところで、出来事に対する自分の対処、価値観を変えない限り、心のつらさは解決しないのです。


もし、私たちが神の言葉に信頼していれば、何が起きても、何を言われても平安でいることができます。なぜなら、困難にあっても神が助けてくださるから心配いらないという御言葉があり、神は私たちを愛しておられるという御言葉があるからです。それなのに、不信仰になる、あるいは、人をさばいてしまうのは、神ではなく見えるものを頼っているからです。


私たちのこの価値観を変えることが、イエス様の言われる内側をきよめることです。価値観を変えるために、私たちはどうしたらよいのでしょうか。


『またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。』(新約聖書 エペソ人への手紙 4:23〜25)


神は私たちに新しい人を着なさいと言われます。そして、私たちはみな、一つの体の一部であり、神のいのちをともに共有している関係にあります。そのことをまず認識したうえで、私たちはどうしたらよいのか、具体的に3つあげます。


1.怒らない

怒りは、悪魔に機会を与えることであるとはっきり書いてあります。ですから、怒りとは徹底的に戦う必要があります。怒っていないと思っても、心の奥でさばいていることはよくあることです。心の中には愛しか入れないと心に決め、神を信頼し、人を愛することに心を定めましょう。


2.罪ゆるされる体験をする

神に自分の罪を悔い改め、赦される体験を積み重ねていくことで、自分が愛されるのは行いと関係ないのだということを深く認識していきます。


3.信仰を育てる

問題にぶつかったら、つぶやくのではなく、まず祈りましょう。そうして神が祈りを聞いてくださる体験を積み重ねることで、神の言葉へのゆるぎない信頼が築きあげられます。