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2010年4月11日 礼拝メッセージ
『ロバで入場されたイエス様』
(新約聖書 マタイの福音書 21章1〜11節)

イエス様は、神殿があるエルサレムにロバの背に乗って入城されました。神殿に神が戻ってくる、これはまさに記念すべき出来事であり、預言の成就でもありました。なぜ、イエス様は馬ではなくロバに乗られたのでしょうか。それは人々の価値観を造り変えるためです。


1.誰も乗ったことのないロバ

今も昔もロバより馬のほうが価値があります。人の考えでは、偉い方ならば馬車に乗るのが当然です。しかも、イエス様が選ばれたのは、誰も乗ったことがないロバですから、ロバの中でも価値がないとみなされたロバです。イエス様は地上での生涯の初めから、人々の常識や期待とは異なる行動をされました。馬小屋に生まれ、人々から罪人だと言われる人たちと交わり、弟子の足を自ら洗われました。

人はいつも見た目で価値を判断します。そうすると自分は価値がないと思います。だから、見た目をよくすれば幸せになると思い込んでいます。そんな私たちにイエス様はなぜ見た目で判断するのか?と疑問を投げかけておられるのです。


2.「主がお入用なのです」

私たちは、神が自分を必要としていると気づいて初めて幸せになります。ところが、私たちにとって重要なのは、見た目で駄目だと判断した自分が、どうしたら愛されるかということになってしまっています。そして、多くの場合、自分の思いを達成するために神を利用しているのです。自分の思う通りに生きることが幸せだと思うのは間違いです。自分中心の生き方が罪の本質であり、敵意を生み出すのです。この価値観を変えること、すなわち、神と自分との関係に気付き、神のしもべとして生きることに本当の幸福があります。


3.預言の成就

『シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶やす。戦いの弓も断たれる。この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。』(旧約聖書 ゼガリヤ書 9:9,10)


この聖句は今回の場面を預言したものです。神が最初から計画を持っておられたことがわかります。神は、私たちに対しても計画を持っておられます。自分に対する神の計画を知った人に、クリスチャン大名として知られる小西行長がいます。彼はこんな言葉を残しています。「これからは熱心になって神に仕えるように。なぜならこの世には何一つ永遠なるものはないのだから。」私たち一人ひとりは、キリストの体の器官であり、頭はキリストです。手で何かを取ろうとする時、他の器官が協力して動き、達成されます。それなのに器官がそれぞれやりたいことをやろうとしたら、体は立ち行かず、争い、敵意が生まれます。


見た目で判断して駄目な自分をなんとか愛されるようにがんばる自己中心の生き方を抜け出し、神との関わりの中で自分への計画を知り、神のしもべとして生きることを選択していきましょう。その生き方が、敵意ではなく愛を生み出すのです。