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2010年2月14日 礼拝メッセージ
『信仰の薄い人』
(新約聖書 マタイの福音書 17章1〜21節)

『「主よ。私の息子をあわれんでください。てんかんで、たいへん苦しんでおります。何度も何度も火の中に落ちたり、水の中に落ちたりいたします。そこで、その子をお弟子たちのところに連れて来たのですが、直すことができませんでした。」
イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」そして、イエスがその子をおしかりになると、悪霊は彼から出て行き、その子はその時から直った。
そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」
イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。〔ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。〕」』(新約聖書 マタイの福音書 17:16〜21)



イエス様は弟子たちの信仰が薄いと言われました。信仰が薄いとは、神との距離があることを意味します。ここで今一度、信仰とはどういうものかを学びましょう。


『信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。』(新約聖書 ヘブル人への手紙 11:6)



信仰が成長するとは、神と距離が近くなることだと言えます。神がおられることが信じられる所からスタートし、神と交わるうちに、神が求めるものに報いて下さる方であることを信じられるようになります。


人と信頼関係を築こうとするなら、本当の自分を出す必要があります。神との関係も同様で、神の前に自分の本当の姿、罪、弱さを出すことが重要になります。神がおられることを信じて救われた後、私たちはそれまで以上に自分の醜さ、弱さに気づくようになり、御言葉とかけ離れた自分に葛藤を覚えるようになります。それは、私たちが神に近づこうとしているからです。葛藤を覚えても自分を隠さず、神の前に素直にさらけ出し、罪を悔い改めていくほどに、また神との距離が近づき、信頼関係が深まるのです。


つまり、神に近づくためには、本当の自分に気づき、悔い改めていくことが大切なのですが、なにもせずに本当の自分に気づくことは難しいでしょう。私たちは、御言葉を実行しようとする時、本当の自分に気づくのです。どの御言葉も、次の二つのことに集約されます。それは、神を愛することと人を愛することです。


神を愛することとして、具体的には、まず礼拝を大切にすること、そして捧げ物(什一返金)を大切にすることがあります。これらのことを実行するだけでも、葛藤を感じたり、自分の弱さを発見することがあるでしょう。人を愛することは、具体的には人をさばかない(行いで見ない)こと、愛したくない人を愛すること、クリスチャンでない人には福音を伝えることです。


神が私たちに、御言葉を語られたのは、私たち自身の問題に気づかせたいからに他なりません。御言葉を実行しようとする時、聖霊様もまた私たちを助けてくださいます。罪に気づいたなら、悔い改めればゆるされ、神の愛をますます知り、神との信頼関係が深まります。御言葉を聞くことに終わらないで、応答しましょう。神との関係はそこから始まります。