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2009年12月20日 礼拝メッセージ
『天の宝』
(新約聖書 マタイの福音書 13章41〜58節)

信仰が成長すると、自分のことがよく見えるようになります。多くの人は自分をダメだと思い込んでいます。ダメだから良くなろうとするのです。しかし、神は人を完璧に良い者として作られました。信仰の成長とともに、神のものの見方が分かるようになると、人間関係の築き方も変わってきます。


『天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。』(新約聖書 マタイの福音書 13:44)


イエス様は天の御国について宝のようなものだと言われました。それを見つけたなら、何があっても手放したくないと思うようなものなのです。クリスチャンは今日に至るまで、様々な迫害を受けてきました。日本においても同様です。自分がどんな目にあっても、信仰を手放したくないと思ったのです。そのすばらしさとはどんなものなのかを3つ見ていきましょう。


1.心のゴミを掃除してくれる

私たちの心には隠したいものがたくさんあふれています。自分を隠して周りの期待に応えて生きることで、評価を得るのです。しかし、聖書は反対のことを言っています。自分の心にある者を隠さず正直に出すと、神はそれらの罪をすべてゆるしてくださり、私たちは解放されるのです。


2.死と向き合うことができる

イエス・キリストは、死が終わりではなく、永遠のいのちが与えられるという希望を与えてくださいました。イエス・キリストは十字架で死んで3日目によみがえられました。それを目の当たりにした人々が変えられ、その信仰が今日まで引き継がれています。死を間近にすると、人は不安になります。そんな私たちに、気休めではなく、永遠に生きるという希望を与えることができるのはイエス・キリストだけです。


3.お祈りができる

日本人はみなで黙祷を捧げることがありますが、何に対して祈っているのでしょうか。よく分からずに祈っている人がほとんどでしょう。私たちにはいつも祈りを聞いて下さる神がおられます。心から信頼して祈ることができる相手がいるというのはなんと心強いことでしょうか。誰もが人生において問題にぶつかります。その時に祈ることで、神なら何とかすることができると希望を持つことができるのです。


これらを見ると、信仰を持って生きることは何にも買えがたい宝です。何があっても失いたくないと思うものです。聖書の中には宝がたくさん隠されています。私たちの問題に対する答えがあります。もう自分を隠さず、ありのまま正直に生きることができます。