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2009年9月6日 礼拝メッセージ
さばいてはいけません。さばかれないためです。
(新約聖書 マタイの福音書 7:1〜12)

『さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。
また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。
聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。』(新約聖書 マタイの福音書 7:1〜6)



さばくとはどういう行為かを、まず見ていきましょう。人の過ちを注意したり責めたりする時、同じ言葉でも心の状態によってさばいているのかそうでないのか分かれます。その分かれ目は、に怒りがあるかどうかです。厳しい言葉であっても、怒りがなく寛容な心で相手のことを思いやって責めるのは、さばいているのではありません。しかし怒りが心にあるならあなたはさばいています。怒りのままに相手の価値を否定しようとしてさばいているのです。


イエス様は、さばくという行為に対して、このように厳しく注意されました。それは、怒っていると、御言葉が心に入らないからです。特に、ここでパリサイ人たちのことを、彼らが忌み嫌う豚という言葉で呼び、厳しい言葉で警告しています。パリサイ人たちはさばくことばかりして、イエス様の言葉にいつも怒り、御言葉をはねのけていたのです。


では、なぜ人はさばくのでしょうか。怒るのでしょうか。人は、神から引き離されたことで自分の価値が分からなくなり、自分で自分の価値を見出さなくてはならなくなりました。本当は、私たちを造った方でなければ、私たちの価値や、造られた目的はわかりません。にもかかわらず、私たちは神以外のところから、自分の価値を見出そうとします。


自分の価値を見出すにあたって、私たちは人と自分を比較します。さばくことで、相手の価値を引き下げると、一時、自分の価値が上がったように感じます。そしてつらい現実から目を背けることができます。もし今、私たちの心がイライラしているのなら、自分の価値を見失って比較し、怒りを繰り返していると考えられます。


また、怒りは悪い行いの入り口でもあります。最悪、殺人という行為へと至ってしまいます。怒りを私たちは簡単にとらえてしまっているかもしれませんが、実は恐ろしい行為なのです。私たちは麻薬の恐ろしさを知っているから、手を出しません。同様に、怒りという行為の恐ろしさを知る必要があります。そして、怒りを避けるための具体的な対応としては、相手のために祈ることです。


『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。』(新約聖書 マタイの福音書 7:7〜11)



求めるということで、大切なことが2つあります。

1つは、まず自分から行動することです。あなたは「神様は何もしてくれない」と思っているでしょうか。もしそうだとしたら、それはあなたが求めないからです。私たちの方から何かアクションを起こすことで、神は与えてくださるのです。何もしなければ何も来ません。ただし、神は私たちが求めたものをそのまま与えるのではなく、「良いもの」を与えてくださいます。神は私たちよりも、私たちにとって良いものをご存知です。ですから、祈った結果をすべて感謝することが大切です。神は良いものを与えてくださるからです。

2つ目は、困難でもあきらめないことです。結果が出るまで祈り続ける必要があります。もし、求めていることが間違っていても、神が正しい方向へと修正してくださるので、とにかく神に求め続けることが大切です。


『それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。』(新約聖書 マタイの福音書 7:12)


これは、何においてもあてはまる黄金律です。律法と預言者とは、聖書を指します。「自分にしてもらいたいことを人に対してする」ということは、聖書の教えの基本です。日々の生活の中で、このことを心にとめていきましょう。