ホームに戻る 教会の紹介 集会の案内 礼拝メッセージ アクセス English ノアの紹介
メッセージ集TOPへ
2009年8月30日 礼拝メッセージ
天に宝を蓄えなさい
(新約聖書 マタイの福音書 6章19〜34節)

『自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。』(新約聖書 マタイの福音書 6:19〜21)


マタイ5章から続くメッセージの中で、イエス様は「心を神に向けなさい」というテーマで語っておられます。人に心を向けるから人を憎んだり、褒められようとしたりするのです。人が第一になると、この地上で価値を見出さなければならず、それは、私たちにとって落とし穴となります。私たちの価値は神がすでに素晴らしいものとして決めておられます。

地上で自分の価値を見出そうとするなら、そこに私たちの宝があるということです。しかし、地上でいくら宝を蓄えたところで、それはいずれ失います。


『からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。』(新約聖書 マタイの福音書 6:22,23)


ここで「目が悪ければ」とあるのは、神に心が向いていない状態を指します。私たちの状態は何を見ているかによって決まります。何ができるかではなく、神を見ているかどうかが重要です。


『だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。  私たちは、神に対して生きながら、人に対して生きることはできません。』(新約聖書 マタイの福音書 6:24)


『だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』(新約聖書 マタイの福音書 6:25〜33)



なぜ、私たちが神の前にどう生きるかより、この地上でのことにとらわれてしまうのでしょうか。それは、自分のことを自分で何とかできると思うからです。それが私たちの問題の本質です。しかし、私たちは自分の命を死から救うことはできません。人にとって、死は恐怖です。そのため、様々な価値観が生じ、気を紛らわすために娯楽が生まれました。しかし、それらは死の恐怖に対して何の解決も与えませんでした。死の恐怖を解決することなしに、人は本当に正しく生きることはできません。死の恐怖を解決するのは、イエス・キリストを信じる信仰です。


私たちが人からよく見えるために自分を着飾ったり、暮らし向きをよく見せようとし、それを追い求めると、心が縛られ、支配されてしまいます。人を憎むことも同様、そのことに心を縛られてしまいます。見えるものに縛られると、神が見えなくなってしまいます。イエス様はそういったことから、私たちを救い出そうとしておられるのです。神は見えるものが一切必要ないと言っているのではありません。私たちがそれらを追い求めなくても、必要なもの全てを神が供えてくださると言っておられるのです。


『だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』(新約聖書 マタイの福音書 6:34)


私たちの命は明日あるかなど誰にも分かりません。夜寝る時は神にゆだね、朝起きた時、また命与えられたことを感謝して生きる、そうした神にゆだねる生き方をしていきましょう。