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2009年8月23日 礼拝メッセージ
褒められるための生き方をやめなさい
(新約聖書 マタイの福音書 6章1〜18節)

『人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。』(新約聖書 マタイの福音書 6:1〜6)


神は、私たちを価値あるものとして造られました。しかし、神を見失った人間は、自分の価値も見失い、ほめられることで自分の価値を見出そうとして生きるようになりました。人は皆、もうすでに価値あるものなので、行いによって価値は変わりません。しかし、そのことを知らないので、行いによって自分の価値が変わるー褒められることで自分の価値が上がると思い込んでいます。ですから、ほめられたいのに褒められなかったとき、人は相手を憎みます。こうして、人間関係の問題は自分が褒められたいと思うことで発生します。イエス様は、そんな生き方をやめなさいと言われます。私たちができる(できない)ささいなことは、いのちの素晴らしさに比べたら、つまらないものです。


『また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。だから、こう祈りなさい。

『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕』(新約聖書 マタイの福音書 6:7〜13)



祈りに関しても、褒められたいという動機で祈ることに、イエス様は軌道修正を促しておられます。そして、祈りの模範を示されました。主の祈りの特に前半の言葉は、人生の主人公では「私」ではなく「神」であることを示しています。自分のために生きる者はいのちを失い、神のためにいのちを捨てる者はいのちを得ると、別の個所にもある通り、自分のために生きるなら、その人生は空しいものとなります。


「御名があがめられるように」、それは、人ではなく神だけが褒め称えられ、一人でも多くの人が神を信じるようにという祈りです。「御国が来ますように」、「御心が行われますように」、神の再臨を待ち望み、神の意志だけが実行されるように願う祈りです。その後に、私たちの必要(養われる必要、ゆるし、災いからの守り)を願い、委ねる祈りが続きます。


『もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。』(新約聖書 マタイの福音書 6:14,15)


人にすることは自分にすることと同じであるという法則があります。よって、人の価値を認めるなら、自分の価値もわかるのです。


『断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。』(新約聖書 マタイの福音書 6:16〜18)



人に褒められようとすることと似ていますが、同情を買おうとする行為に対する注意があります。心が神ではなく人に向けられていることが問題です。心を神に向けるために次の3つを心に留めましょう。


1.主の祈りをする
2.主に解決を求める
3.主にゆだねる


褒められようとする生き方によって引き起こされた問題の解決は、自分の本当の価値に気付くことです。イエス様は私たちが犯した罪のために十字架にかかって犠牲になってくださいました。神にとって、私たちはそれほどに価値がある存在なのです。ただそう言われるだけでは、なかなか実感できないでしょう。神の前に自分の内にある罪を告白し、ゆるされるときはじめて、イエス様の十字架の重み、神の愛の深さを知るでしょう。