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2009年8月2日 礼拝メッセージ
宣教を開始されたイエス様
(新約聖書 マタイの福音書 4章12〜25節)

『ヨハネが捕えられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」』(新約聖書 マタイの福音書 4:12〜17)


バプテスマのヨハネが捕らえられたという知らせに、イエス様は動揺することはありませんでした。なぜなら、イエス様はヨハネの役割をよく理解していたからです。私たちは一人で働きを完結するのではなく、キリストの体の一部分なので、それぞれが与えられている役割を担うことで互いに助け合って働きを進めるのです。ヨハネは自分の役割を果たし、イエス様の宣教のための備えをしました。互いに役割があることを理解しないと、私たちは間違った目標設定をし、うまくいかないと動揺してしまいます。また、今回の箇所でも旧約聖書の預言が引用されていますが、神がすべてを導いておられることがわかります。


宣教を開始したイエス様は、まず「悔い改めなさい」と言われました。それは、悔い改めこそが、神を知り、神に近づく道だからです。神と私たちとの関係は、悔い改めて罪赦されるところからスタートします。そうでなければ関係は生まれません。


『イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁 そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。』(新約聖書 マタイの福音書 4:18〜22)


イエス様は、宣教を始めると同時に、弟子作りを開始されました。与えられている生涯が短いことをご存じでしたから、将来を見据えて、今すべきことに取り組まれたのです。私たちが、将来を見据えた生き方をするために必要なのは、次のことです。

(1) 自分の務めを知る事・・・神から、自分の役割を聞く事
(2) 自分の状況を知る事・・・死ぬという事実


イエス様に即座に従ってついて行った弟子たちの姿から、次のことを学ぶことができます。

(1) 信仰とは、絶対に天秤にかけてはいけない
(2) 信仰とは、無条件で信じるもの


信仰は損得勘定でするものではありません。自分の置かれている状況に気づけば、損得だとかを考えているどころではありません。海でおぼれかかっている事に気づいたら、損得を考えて救命具に捕まる人はいません。私たちの置かれている立場とは、具体的に次のものです。

(1) 人は創られた存在。自分で命を創れない
(2) 死が待っているという状況
(3) 罪が精算されていないという状況


私たちは、神に対して何か条件を出せる立場にはありません。ただ、哀れな自分へ憐れみを乞わずにいられない者です。


『イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで、人々は、さまざまの病気と痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかん持ちや、中風の者などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをお直しになった。こうしてガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から大ぜいの群衆がイエスにつき従った。』(新約聖書 マタイの福音書 4:23〜25)


イエス様は大勢の人の問題を解決されました。私たちの問題についても同様に、イエス様が解決してくださいます。ですから、どんな問題も神の前に差し出し、祈り求めましょう。