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2009年7月26日 礼拝メッセージ
サタンの誘惑
(新約聖書 マタイの福音書 4章)

サタンは人を神から引き離すために、さまざまな誘惑をしかけてきます。人として来られたイエス様も、その働きを始める際、人がサタンから受ける代表的な誘惑を受けました。サタンはどのようにそれらの誘惑をしてくるのかを、具体的に見ていきましょう。


『さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」』(新約聖書 マタイの福音書 4:1〜4)



1. 肉体の誘惑

人には肉体の欲求(食欲、睡眠欲、性欲等)があります。サタンは、人の幸せを肉体の満足に置き換えようとします。しかし、人には、神にしか満たすことのできない「心」があります。人は、心が満たされないと何か見えるもので満たそうとしてしまいます。サタンはそこへ付け込み、心が満たされるためには肉体を満足させればよいと思わせます。空腹のイエス様に、サタンはパンを求めさせようとしますが、イエス様は人は神のことばによって生きると明言されました。お腹が満たされれば、幸せになったように感じますが、それは一時のことで、心の空腹は神によってしか満たすことはできません。


『すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」』(新約聖書 マタイの福音書 4:5〜7)


2. 知性の誘惑

この箇所でサタンが引用している聖書箇所の本当の意味は違います。しかし、サタンは御言葉を都合よく解釈して人を誘惑します。エバの時と同じ手口です。私たちが勝手な解釈をするのは、自分を正当化するためです。しかし、神の前に私たちは正当化する必要などありません。神と人との関係は、善いことをして認められるという関係ではなく、罪を認め、赦され、慰めや励ましを受けるという関係だからです。

聖書に書いてあることに対して、自分の意見を持ち込むとき、私たちは自分の考えが神よりも勝ると思っています。しかしもし本当に神よりも人の考えが勝っているのなら、聖書は書き換えられているでしょう。しかし、聖書は書かれた時から書き換えられたことはなく、その正しさは立証されており、否定することはできないのです。


『今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。』(新約聖書 マタイの福音書 4:8〜11)



3. 権威の誘惑

サタンは私たちが信仰を失えば、すべてを失うことを知っているので、信仰と他の物を天秤に掛けさせ、信仰を捨てさせようとします。そうして多くの方が信仰を捨ててしまったことも事実です。しかし、私たちは何物も信仰と天秤にかけてはいけません。

こうした誘惑に対して、私たちのできる対策を3つあげていきます。

(1) 神の言葉で心を満たす

具体的には、つらい時にいつでも祈ることです。祈る習慣によって、私たちは守られます。


(2) 御言葉を基準に考える

神の考えは私たちの考えよりもはるかに勝っています。たとえ理解できなくても、神が言われるゆえに信頼し、従うことが大切です。


(3) 礼拝だけは守る

礼拝、そしてそれ以外にも、自分の中でこれだけは守るという線引きをすることによって、私たちのたましいは守られます。


これらの対策によって、いつも私たちを神から引き離そうとするサタンの策略に負けない備えをしていきましょう。