『しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現われるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。』(新約聖書 ペテロの手紙第二 2:1)
キリスト教の異端の共通点は主を否定することです。イエス・キリストを神のポジションから引き下げ、神と人の中間に位置する「立派な方」として捉えます。彼らは、聖書の言葉を人間の常識の範囲内で捉えようとするため、そのようなことが起こります。そして神を私たちの知識以下に貶めるのです。しかし、神は私たちの常識を遙かに超えた方です。もし常識で理解できるなら私たちの常識以下の存在です。ですから、私たちは神について、聖書について、常識で理解できないことがあっても、神のことばゆえに「アーメン」と信じましょう。
『これらのことでわかるように、主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、不義な者どもを、さばきの日まで、懲罰のもとに置くことを心得ておられるのです。
汚れた情欲を燃やし、肉に従って歩み、権威を侮る者たちに対しては、特にそうなのです。彼らは、大胆不敵な、尊大な者たちで、栄誉ある人たちをそしって、恐れるところがありません。』(新約聖書 ペテロの手紙第二 2:9,10)
神は不義な者を見過ごされません。私たちは不義な者とならないように注意する必要があります。と言うのは、人は突然不義な者と変わるのではなく、何事にも入り口があるからです。不義な者とは、この聖句にあるように、汚れた情欲をもやし、肉に従って歩み、権威を侮る者です。人は皆、肉に従って歩み、欲を持っています。しかし、肉の奴隷にならないよう、制限を加える必要があります。いつでも自分の肉と欲を優先させるなら、必ず転落していくからです。内面的に自分の欲を優先させ続けた結果、外面的に「権威を侮る」という行動に表れます。見える権威に対してはもちろん、見えない権威である神とその御言葉を侮るようになります。このような兆候が見えたとき、すぐに悔い改めて、軌道修正しなければなりません。
『彼らは、むなしい大言壮語を吐いており、誤った生き方をしていて、ようやくそれをのがれようとしている人々を肉欲と好色によって誘惑し、その人たちに自由を約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。』(新約聖書 ペテロの手紙第二 2:18〜20)
世の中には「これさえ手に入れれば幸せになる」と思わせるものがたくさんあります。もしそれを信じて従って生きるなら、その人は征服された人です。しかも、イエス・キリストを信じて後、そのような考えに征服されるなら、もっと悪い状態になるとここにはっきり書かれています。私たちはいつもその危険にさらされていることを忘れてはなりません。何が不義の道なのか、どこで線引きをしたらよいのでしょうか。私たちが不義の道を歩む方向に向かっていないかどうか、それを確かめるチェックポイントがあります。それは、イエス様を信じる理由です。
天国へ行く条件は、ただ一つ、イエス様を信じることです。しかし、一方でイエス様は「主よ、主よ」と言う者が天国に入るのではなく、神の御心を行う者が天国に入るのだと言われました。つまり、神の側から見ると、「信じる」には次の2つがあるのです。
1.神を利用するために信じる
「自分の夢を実現するために信じる」とも言い換えることができます。御利益宗教的な信じ方であり、これは神から見て信じているとは見なされません。
2.罪をゆるしてほしいから信じる
これが本来、人が神を信じる原点であるべきです。イエス様が罪をゆるす方であると信じる、その信仰を神は認められます。
私たちは実際のところ、1と2を行ったり来たりしているのではないでしょうか。そして1の方にシフトしている危険性を次の3つによって判断できます。
1.祈りが聞かれなかったときにつぶやく
神は私たちの罪をゆるし、永遠のいのちを与えてくださいました。私たちはこれ以上ない恵みを与えられ、神に対して文句を言える立場にはありません。それなのに、自分の言うことを聞いてくれなかったと言ってつぶやくなら、神を自分の召使いのような立場に置き、利用している証拠です。私たちはどんな状況であってもつぶやいてはなりません。つぶやく立場にはないということを肝に銘じておく必要があります。そして、もしつぶやいたならすぐに悔い改めましょう。
2.礼拝が二の次になる
礼拝を毎週続けるには、多少の犠牲が伴うでしょう。神を利用するために信じている人は、もっと他に大切なものが優先され、礼拝は二の次になります。礼拝を守ることは、何が本当に大切なものかを認識し、不義の道へ進まないための歯止めとなります。
3.御言葉に私的解釈を加える
聖書を読むとき、メッセージを聞くとき、素直に聞く必要があります。それはイエス様が言われたことです。聖書にはそう書いてあっても自分はそう思わない、と自分の判断を御言葉より上に置くことは避けるべきです。
私たちはいつでも不義の道へと引っ張られています。上の3つのポイントに自分を照らし、当てはまると思った時にすぐ、軌道修正をしましょう。神にどんなときも感謝を捧げ、礼拝を守り、御言葉を素直に聞く恵みの中にとどまり続けましょう。 |