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2008年2月24日 礼拝メッセージ
ペテロの手紙第二より
(新約聖書 ペテロの手紙第二 1章1〜10節)

『イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから、私たちの神であり救い主であるイエス・キリストの義によって私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ。』(新約聖書 ペテロの手紙第二 1:1)


この言葉は私たちのスタートを確認しています。イエス・キリストが自分の神であり、自分の義ではなくイエス・キリストの義によって救われたということを確認しています。


『神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。』(新約聖書 ペテロの手紙第二 1:2)


この言葉は、私たちの方向を確認しています。私たちの恵み、平安は、神によってしか得ることはできません。社会的成功、賞賛によって得られるものではありません。社会的成功を求めるのは間違いではありませんが、その目的は自分の平安のためではなく、神の栄光のためです。


『というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。』(新約聖書 ペテロの手紙第二 1:3)


ここに「敬虔」という言葉が出てきますが、これは神に対する畏れ、尊敬、服従を意味しています。神との関係が絶たれることが、私たちにとって最も恐ろしいことです。私たちは罪を持ち、神と切り離されていましたが、イエス・キリストを信じることでキリストの体に接ぎ木されました。その恵みを知るほどに、神との関係を保つ大切さを私たちは認識するようになり、真に敬虔な者となるのです。


『その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。』(新約聖書 ペテロの手紙第二 1:4)


神のすばらしい約束がここに書かれています。一つは、滅びを免れること、つまり永遠のいのちを与えられることです。もう一つは、神のご性質に預かる者となること、具体的には御言葉を実行できる者になることです。


『こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。』(新約聖書 ペテロの手紙第二 1:5〜7)


ここに「あらゆる努力をして」とありますが、私たちには努力しなければならないことがあります。それは救われるため、愛されるためではありません。私たちが努力しなければならないことは、少しでも完全な者となることを目指して進むことです。私たちは神によって義とされ、天国へ行く保証を与えられているものの、実際は不完全です。ですから、この地上において、少しでもよい方向に進むことを勧められています。それによって、私たちはますます神を深く知り、神と自分との関係が深められてゆくからです。私たちが努力すべきことは次のようなことです。


まずは、良い行いをするように心がけましょう。クリスチャンでなくても、良心に従って徳のある行動をする人はたくさんいます。また、良心に従わなければ、世の中においても裁かれます。ならば、クリスチャンである私たちは率先して聖書に従い、良い行いをしましょう。
 
知識 良い行いをしようとすれば聖書の言葉を知らなくてはできないことが分かります。神の思いをより深く知ることで私たちは的を得た良い行いをするようになります。
 
自制 神の思いを知ることで、私たちは優先順位を知るようになります。そうすると、必ずしも自分のしたいことが今なすべきこととは限りません。最重要のことをするために、自制が必要となります。
 
忍耐 神に喜ばれることを行っていくうちに、神が最も喜ばれることは神の約束を信じることだと分かります。神の約束を信じるには、忍耐が必要です。
 
敬虔 先にも触れましたが、忍耐が養われるうちに、敬虔、神への畏敬の念、服従する心が養われてゆきます。
 
兄弟愛 御言葉は神を愛し、人を愛することに集約されます。御言葉に従って、人を愛そうとすればするほど、人を愛せない惨めな自分の姿が見えてきます。
 
私たちのすべての問題は愛が足りないためです。逆に言うなら愛によって解決するのです。神は愛です。人は条件をつけて愛するために問題が生じます。しかし神の愛は一切条件をつけません。私たちの信仰が神の愛(条件をつけない愛)にまで成長するように努力しなさいと神は私たちに言われます。


『これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。
これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であって、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまったのです。』(新約聖書 ペテロの手紙第二 1:8〜9)



私たちの信仰が愛する方向へと進んでいくなら、私たちは造られた目的に応じた実を結びます。そしてその方向に目が向いている人は、人を裁きません。注意することと裁くことは違います。裁くというのは、人を罪に定め、ダメだとすることです。私たちは人との違いを見つけて裁きます。しかし、共通項を見るようにする必要があります。


『ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。』(新約聖書 ペテロの手紙第二 1:10)


私たちは神から信仰を与えられ、約束を与えられました。それをあらゆる努力によって確かなものとするという方向を与えられました。その方向で生きていくのなら、私たちはつまずくことがありません。人が「つまずく」と言う時、相手が悪いから自分がつまずいたというニュアンスで話します。しかし、つまずくのは、100%本人が悪いということを覚えましょう。それはこういう訳です。


私たちは暗闇の中を歩けば石につまずいて転びます。しかし光に照らされた道を歩けば石をよけることができ、つまずかずに歩くことができます。光に照らされた道とはこれまでに述べてきたように、私たちに与えられた約束を確かなものにしていく道です。つまずくのは暗闇を歩いている、つまり間違った方向に歩いている証拠なのです。ですから、つまずきは、私たちが正しい方向に歩んでいるかどうかを判断する物差しの一つになります。


私たちの目指す方向は愛です。愛は決してつまずきません。ですから、つまずきは実は恥ずかしいことなのです。私たちの霊的感性が研がれると、つまずきを感じたときに自分自身の問題に気づくことができます。そして軌道修正し、光に照らされた道へ戻って、神の約束を確かなものとする方向へと進んでいきましょう。



神木イエス・キリスト教会


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