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2008年1月27日 礼拝メッセージ
ペテロの手紙第一より
(新約聖書 ペテロの手紙第一 3章13〜4章6節)

『もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。

ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。もし、神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよいのです。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 3:13〜17)



善とは、人が善いと思うことではなく、神が善いとすることです。そして、善をおこなうとき、苦しみを伴うことがあります。それは迫害に遭うことかもしれません。人によく思われようとすると、人の目を恐れ、迷ってしまいます。そんなとき、心の中でキリストを主としてあがめなさいと書かれています。私たちは神の前に正しく生き、平安に過ごすことができるようにしましょう。


今、さまざまな偽装が明るみになる中、企業には倫理が求められています。企業の中には、「それは偽装であってよくないことだ」と声を上げた人がいたことで、不正を免れ、社会的信用を落とさずに済んだ企業がいくつもあります。私たちも外側からの圧力にあうことがあるかもしれませんが、神の目に善いことを選んでいきましょう。


今の時代にあって、神に希望を持っている私たちに、周りの人たちから説明を求められることがあるでしょう。そんなとき、いつでも弁明できる用意をしている必要があります。つまり、自分の希望とは何か、日々確認している必要があります。しかも、優しく語ることが大切です。相手が怒っていたり、どなっていたりすると、ついそのまま怒り、どなり返してしまうものです。しかし、それでは私たちの心は怒りと恐れでいっぱいになります。むしろ、優しく応答することで、相手が自分の間違いに気づくこともあるでしょう。


『キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 3:18)


イエス・キリストは最も大きな迫害を受け、殺されました。この手紙が書かれた当時も、弟子たちは迫害を受け、殉教した者もいました。しかし、神の霊は死にませんでした。イエス・キリストの肉体は滅んでも、神の霊は死ぬことなく、今に至るまで生きておられます。


『昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 3:20,21)


旧約聖書のノアの箱舟のエピソードは、バプテスマ(洗礼)を示した雛型だと書かれています。イスラエル人たちがモーセに率いられて紅海を渡った出来事もバプテスマを表していると言われています。旧約聖書の記述は、このようにイエス・キリストの教えやイエス・キリストについて、あらかじめ表しています。


『こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。あなたがたは、異邦人たちがしたいと思っていることを行ない、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけったものですが、それは過ぎ去った時で、もう十分です。彼らは、あなたがたが自分たちといっしょに度を過ごした放蕩に走らないので不思議に思い、また悪口を言います。

彼らは、生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにもさばこうとしている方に対し、申し開きをしなければなりません。というのは、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが、それはその人々が肉体においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神によって生きるためでした。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 4:2〜6)



私たちは、この地上で残された時を無駄にしないようにしましょう。私たちが地上で過ごすことのできる時間は限られています。この残りの時間で、主のために何ができるのか考えることは非常に大事なことです。神の御心を行うことに集中し始めると、それ以外のこと、世の中的な付き合いをしなくなります。そうすると、「付き合いが悪い」と言われたりしますが、それが迫害の始まりとも言えます。しかし、私たちの肉体は限られた時を過ごすだけで、永遠に生きるのは私たちの霊です。私たちが永遠に共に生きる神の前に、正しく生きることを求めましょう。



神木イエス・キリスト教会


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