今回から、イエス・キリストの十二弟子のひとり、ペテロが書いた手紙を見ていきます。イエス・キリストの最も近くで過ごした彼の書く言葉は、贅肉のない、本質をついた重みのある言葉です。
『イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 1:1,2)
「神の予知に従い、・・・選ばれた人々」とありますが、神が救う人を選ぶのではなく、救いは人の選択によるものです。しかし、全知全能なる神は、誰がイエス・キリストを信じるかを知っておられるのです。そして信じた人に対して神は平等に扱われます。御霊とは、父なる神、イエス・キリストとともに三位一体の神です。御霊なる神の働きの一つが、私たちを聖めることです。聖書で言う聖められるとは、行いが立派になることではなく、キリストに従うようになることです。
『私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 1:3,4)
ここに私たちの生き方の基幹が掲げられています。それは、「神がほめたたえられるように」生きることです。そこからずれてはいけません。車が素晴らしいからといって、私たちは車をほめたたえるのではなく、その素晴らしさは作ったメーカーの栄光になります。それと同じように、私たちが何かしたからといって、ほめたたえられるべきなのは私たちではなく、私たちを造られた神です。
神は私たちが生きてゆくために最も必要な希望をキリストの復活によって与えてくださいました。イエス・キリストを信じる信仰を通して、私たちは復活があることを知り、復活に預かるに相応しい者として、神に備えていただきました。そして、神の国で永遠に生きるという資産を与えられたのです。
『あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです。そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 1:4〜7)
私たちにとっての最大の資産とは何でしょうか。ここに信仰の試練が金よりも尊いとあるとおり、私たちにとっての最大の宝は、信仰です。それは試練を通して精錬されます。試練に遭う時、私たちはあきらめるか、希望をもつかという選択をすることになります。信仰によって希望を持つ選択をする時、私たちの信仰は成長するのです。
『あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 1:8,9)
試練に遭う時、希望を持つことができるのは、私たちが目に見えない方を信じているからです。目に見えない方を私たちは信じ、 愛し、ほめたたえています。それならば、目に見える問題について、神によって希望を持つこともできて当然です。信仰とはまだ見ぬ事実を信じることです。結果が分からなくても信じて希望を持つ選択を重ねる中で、私たちの信仰は育まれ、その信仰が私たちにとっての最大の宝となるのです。
『ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と書いてあるからです。また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 1:13〜17)
イエス・キリストは再び地上に来られると聖書に書いてあります。その再臨の時に向けて、心を引き締めるよう勧められています。私たちは自分が辿り着くゴールをすでに知っているので、欲望に振り回される、やがて朽ちてゆく生き方ではなく、神に喜ばれる生き方をしていきましょう。
『ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 1:18〜21)
すべての始まりはイエス・キリストです。神が宇宙を造られました。世界のすべてが偶然であるとするなら、私たちは生きる目的を持ち得ません。神を第一原因としてはじめて、私たちは人生を組み立てていくことができます。私たちの原点が神です。私たちは神の栄光を表すために造られました。そこがずれてしまうと、目の前の問題に振り回されてしまいます。
『あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 1:22)
神を信じる者として、周りの人に対して裏表があってはなりません。人の欠けを見たら、陰口を言ったりしないのはもちろんのこと、自分にも欠けがあり、赦された者であることをいつも覚え、さばくのではなく助け合わなくてはなりません。神はそれを望んでおられます。
あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。
年の始めに、私たちの原点を今一度確かめ、私たちの生き方が的外れになっているのなら、軌道修正し、信仰によって希望を選択する生き方を、今年はしてゆけるように神に求め、進んでいきましょう。 |