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思い煩うとは、将来起こるかもしれないこと、その他のことで心が引き裂かれることを意味します。それは自分で自分の心を傷つけることであり、聖書は思い煩うことをやめるように教えています。私たちが思い煩う内容はどんなものか、調査したデータがあります。その結果は以下の通りです。
1. 絶対に起こりえないことを想像
2. 過去のこと
3. 人から受けた批判(事実ではない)
4. 自分の健康
この4点が思い煩う内容の92%を占めました。これらのことは思い煩ったからといって解決することではありません。それなのに人は思い煩うことに莫大なエネルギーを費やし、そのことによって何も生み出すことはできません。
思い煩いから解放されたいと真実に願う人に、聖書は解決の手がかりを与えてくれています。それは次の3つの点です。
1. 家族の会話を変える
家族のコミュニケーション状態は、あなたの心を表しています。あなたは他人に対しては肯定的に話し、家族に対しては否定的な言葉で話していないでしょうか。実は、家族の間では否定文が多いのです。
『もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。』(新約聖書 テモテへの手紙第一 5:8)
家族に対する言葉が変われば、あなたの心が変わります。
2. 重荷を神の所へ持って行く
『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。』(新約聖書 ペテロへの手紙第一 5:7)
私たちは重荷を神の所ではなく、周りの人の所へ持って行き、同情してもらおうとしてしまいます。しかし、神はご自分の所へ持ってくるように言われます。心配は神の仕事だからです。私たちは自分で心配し、神の仕事を奪い、神の助けではなく、人の同情を求めてしまいますが、それは何の解決にもなりません。神に重荷を持って行くとは、すなわち祈ることです。
3.へりくだる
2でも触れたとおり思い煩うことは神に仕事を任せず、自分で心配して何とかしようとする行為であり、神に対して高ぶった態度です。私たちにはへりくだりの練習が必要です。夫婦間では、夫は妻に自分の思い煩いのために祈ってほしいと言いましょう。自分のために祈ってほしいとは、へりくだっていないと言えません。まずは家族の中でお互いに祈り合うことが、へりくだりの練習になります。祈り合うだけでなく失敗したときには素直に謝ることも、へりくだりのために必要です。
『同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。』(新約聖書 ペテロへの手紙第一 5:5,6)
ここに、「神は高ぶる者に敵対」するとあります。神が私たちに敵対されるとは、どういう事かというと、私たちを放っておくことです。私たちが神に重荷を持って行かないので、神は私たちに対して何もせずに放っておかれるのです。その結果、私たちは平安を失います。ですから、逆に平安でいられることは神の恵みであることが分かります。どんなときも神に祈り、家族とともに祈り合い、思い煩いから解放されて生きていきましょう。
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