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『…もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます。」と言った。しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。』(新約聖書 使途の働き 27:9〜11)
パウロたちを乗せて、船はローマに向けて出航しました。その中で、パウロは航海の危険を察知し、百人隊長に忠告しますが、百人隊長はパウロよりも航海士や船長を信用し、航海を続けました。その結果、ユーラクロンという暴風に巻き込まれ、船は流されるままとなり、先が見えない状態になってしまいました。
私たちも何か問題がぶつかったときに、こうした専門家や経験者、また他の誰かの意見を優先して、神のことばを後回しにすることがないでしょうか。人の考えの基準は損か得かです。自分が損をせず、よく見えるようにします。しかし、聖書の基準は愛です。人の言葉を聞くことももちろん必要ですが、最終的判断は神のことばを基準にしましょう。
『だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」』(新約聖書 使途の働き 27:21〜24)
『ついに夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった。』(新約聖書 使途の働き 27:33〜36)
暴風に翻弄される船の中で、みな恐れと不安でいっぱいになっていました。そんな時、パウロは何度も、人々を励まします。最終的にはみな助かりますが、それは人々がパウロの励ましを受け入れ信じたからでした。私たちは恐れや不安に駆られると何かをして逃れようとします。しかし、何をしても逃れることはできません。恐れや不安に克つには、私たちも船の人々のように、御言葉を信じるしかありません。逆に言えば、恐れや不安があるのは、神のことばを信じていないからです。状況や問題が私たちを恐れさせるのではありません。どのような状況でも神のことばを信じることができれば、恐れずに平安でいられるのです。
上記のパウロの言葉ですが、忠告を聞かなかった人たちに対して、責める言葉はありません。それと同じように神の愛は無条件です。私たちは人を愛するのに条件をつけます。これこれのことをしてくれたらゆるす、あるいは愛するといったふうに。しかし、神は心砕かれた人を責めず、無条件に赦し、励ましを与えます。姦淫の現場で捕まった女性を責め立て、石打にしようとする人々に対し、イエス様は、「あなたがたのうちで罪のない人から石を投げなさい」と言い、人々が石を投げずに去っていくと、彼女を責めずにゆるし、これからは罪を犯さないようにと励ましました。放蕩していた息子が帰ってきたときも、父は一言も責めずに、それどころか「死んでいた息子が生き返った」と喜び祝いました。
私たちもまた、そのように罪赦された者です。私たちの罪を神は一言も責めず、無条件に赦してくださり、永遠のいのちを与えてくださいました。私たちは神から無条件の愛をいただいたのですから、それを自分でも実行できるようチャレンジしていきましょう。まずは身近な家族に対して、無条件に赦し、励ますことを実行していきましょう。
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