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2007年10月14日
点と点が結びつくときが来た
(新約聖書 使徒の働き 24章)

カイザリヤへ護送されたパウロは、そこで2年以上も抑留されていました。ある程度の自由はあり、外部との交流を持つことはできても、外出はできない状態でした。人はこのような状況をどうとらえるでしょうか。神はこれまでパウロを何度も助け出されましたが、今回は長期にわたって囚われの身です。しかし、ここにも神の深い計画がありました。抑留されていた間に、パウロは各教会に向けて手紙を書きました。自分がこれまで神によって教えられたことを整理し、文書にしたのです。それが、今私たちが手にしている新約聖書の書簡の部分です。


当時の人たちは、パウロが捕らえられていることが、このような神の栄光につながるとは、想像もできなかったでしょう。私たちは物事を点として捉えることしかできません。ほんの少しの出来事を、自分の理解力で判断し、結論づけてしまいます。その時、私たちは神の深い計画を知り得ません。実は神の深い計画は点と点を結び、一つの素晴らしい絵を描いています。それはちょうど刺繍のようで、表側は美しい絵ですが、裏側は糸が入り組み、絡み合った美しいとは言えない状態です。私たちは裏側から、それも一部分しか見ていないので、神のなさることが分かりませんが、分からなくても、神はすべての点を結び、計画を行なっておられるのです。


ダーウィンが進化論を代表する「種の起源」を発表したのは1859年ですが、当時、生物の最小単位は細胞であり、進化論はそれに基づいて成り立っていました。しかし、技術が進歩し、細胞の中身が見えるようになり、細胞が複雑な構造を持っていることが分かりました。細胞の中には、精密なモーターがあり、1秒間に10万回のスピードで回っています。しかもそのモーターの構造は、今日最も性能がよいと言われているモーターと同型なのです。私たちは、機械があれば、それは誰かが設計して組み立てたのだと認識します。どんなに簡単な構造の物でも、それが自然にできるということはありえません。私たちの体の細胞の一つ一つが精密なモーターを持っていることは、私たちが偶然にできたのではなく、誰かが意図を持って設計したと考えるのが自然なのではないでしょうか。


『…私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。』(新約聖書 コリント人への手紙第一 13:9〜13)



私たちには神の計画の全貌は分かりません。しかし、はっきりしているのは、神は愛であること、そして私たちを幸せにする計画を持っておられるということです。私たちはそれを信じるしかありません。神が私たちに望んでおられるのは、物事に惑わされないで、神の愛を信じることです。私たちが問題と感じること、失敗だと悔やむようなことの中に、神が学ばせたいこと、備えていたことがあります。それは後になって分かるのです。ですから、どんなときもつぶやいてはなりません。いつまでも残るもの、信仰と希望と愛に目を留め、出来事にとらわれるのではなく、自分が造られた目的を認識して生きていくように、私たちは招かれています。



神木イエス・キリスト教会


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