前回、弟子たちの預言や忠告を無視してエルサレムに入ったパウロは、そこで暴動に巻き込まれ、預言通り、危機に瀕します。これは彼の自業自得とも言える事態ですが、神様はローマの千人隊長を通して彼を助けます。ここで私たちは神の一方的なあわれみを見ることができます。今回は、神のあわれみとはどのようなものかを考えていきましょう。
1.神が一方的にあわれむ
『神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 9:15,16)
神のあわれみとは、私たちの願いを越えて、神がご自身の意志で一方的に与えるものです。
2.あわれみに対し不平不満を言ってはならない
『聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである。」と言っています。こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか。」と言えるでしょうか。』(新約聖書 ローマ人への手紙 9:17〜20)
私たちは誰かが主のあわれみを受けるのを見ると、「なぜこの人ばかり、ずるい」「なぜ私をあわれんでくださらないのか」といった人間的な感覚で神に対し不平、不満を持つことがあります。しかし、神の側には私たちの想像をはるかに超えた深い目的があって人をあわれまれるのです。ですから神のされることに対し、絶対に不平不満を言ってはなりません。
神が人をあわれむ目的の一つに、人の傲慢を砕くことがあります。放蕩息子の話を例に挙げます。放蕩の限りを尽くし帰ってきた弟を父親が何も責めずに迎え入れ、宴会を開く様子を見て兄は嫉妬しますが、弟にしてみれば、責められるよりも優しく受け入れられたことの方が、よっぽど心砕かれることだったのです。また、旧約聖書ではギデオンがミデヤンの大軍勢との戦いのために集まった人を、神は300人にまで減らして戦わせました。その目的は、イスラエルが自分の手でやったと言わないためだとはっきり記されています。
3.私たちはあわれみを受ける器として造られている
『陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 9:21〜24)
人は神によって造られ、神のことばに従って生きるようにされました。しかし実際は、人は神に従っていません。人を愛せないし、たとえいくつかの御言葉には従えても、100%従える人は一人もいません。いつ神に滅ぼされてもおかしくないはずのに、私たちは滅ぼされず、今生かされているということは、何を意味しているでしょうか。それは私たちが神のあわれみを受けるべき器として造られているからです。罪人である私たちに対し、神は罪をゆるす十字架を与えてくださいました。それは私たちがお願いしたのではなく、一方的にしてくださったことです。つまり、最も大きな神のあわれみはすでに私たちに与えられているのです。私たちはそれを受けて生きるのです。神がそのようにされた目的は、私たちが互いに愛し合うためです。神からあわれみを受けたのと同じように、人に対してもあわれみ、愛するようになるためです。
『キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。』(新約聖書 ヨハネの手紙第一 3:16)
深い悲しみに遭うとき、人は心いやすために人の同情を求めてしまいますが、実はそれでは心は癒されません。私たちは人から愛されることでではなく、人を愛することによってはじめて心いやされるのです。私たちが人を愛することができるのは、まず神が私たちをゆるすためにいのちを捨ててくださったからです。神は私たちが最も欲する永遠のいのちを与えてくださいました。それ以上の愛はありません。すでに、このような最高のあわれみを受けている私たちは、そのことを日々覚え、周りの人に対してやさしくなるように、愛することができるように求めていきましょう。 |