『さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。・・・彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。』(新約聖書 使徒の働き 18:24〜28)
アポロという人物が登場し、イエス・キリストのことを正確に雄弁に語っていました。しかし、彼は聖霊のバプテスマのことを知りませんでした。プリスキラとアクラによって、聖霊のバプテスマの話を聞くと、彼の話には力強さが増し加わりました。
『アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。・・・
そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。』(新約聖書 使徒の働き 19:1〜6)
一方、パウロも別のクリスチャンたちに、聖霊のバプテスマの話をし、彼らは聖霊のバプテスマを受けました。聖霊のバプテスマとは、イエス様が復活後、弟子たちに約束されたことです。(使徒1、2章参照)ヨハネのバプテスマとは、いわゆる洗礼のことで、イエス・キリストを信じた人がそのことを公にする儀式です。バプテスマとは、「浸す」という意味なので、聖霊のバプテスマは、聖霊に満たされることです。救いの条件ではありませんが、クリスチャンがさらに力を得るために神様がくださったプレゼントであり、求める人に与えられます。
『・・・聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。』(新約聖書 使徒の働き 1:8)
イエス様が上のように語られたように、聖霊を受けると私たちは力を受け、キリストの証人となります。キリストの証人として生きるとは、どういうことでしょうか。
『このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。』(新約聖書
マタイの福音書 5:16)
クリスチャンが良い行ないによって光り輝くことによって、人々が神様のすばらしさを知る、これがキリストの証人としての生き方です。しかし、私たちは自分の力で生き方を変えることはできません。変わるためには聖霊が必要なのです。
父、御子(イエス・キリスト)、聖霊で三位一体の神を形成しています。ですから、聖霊様は神様ご自身です。聖霊を受けるとは、神様ご自身が私たちの内に住まわれ、いつも神様との交わりがあることを意味します。神様との交わりによって、私たちのたましいは励まされ、力づけられます。
『御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』(新約聖書
ローマ人への手紙 8:26〜28)
御霊とは聖霊様の別の呼び方です。聖霊様は私たちの祈りを助け、より深く長く親密に神様と交わりをさせてくださいます。パウロによって聖霊のバプテスマを授けられたクリスチャンたちは異言を語り始めたと書いてありますが、異言による祈りがそれです。
私たちは心がつらい時、ダメだと思う時、満たされない時、何をするでしょうか。何かで気を紛らわせるでしょうか。そんな時こそ、聖霊によって祈るなら、神ご自身が私たちを満たしてくださいます。せっかく聖霊を受けていても、それを用いるのでなければ、神様に満たしていただくことはできません。
『そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。』(新約聖書 エペソ人への手紙 5:15〜18)
「賢い人のように歩んでいるかどうか」、自分を吟味しましょう。つらいときこそ、何かに逃げないで、御霊に満たされるという選択をするなら、私たちは変えられます。そして、周りの人はそれによって神様のすばらしさを見ることができるのです。私たちが変わるかどうかは、私たちの選択によります。 |