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2007年8月5日
ローマ人ヘの手紙12章
(新約聖書 ローマ人への手紙 12章)

『そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。』(新約聖書 ローマ人への手紙 12:1,2)


「心の一新によって自分を変えなさい」とありますが、心を一新するとは、決意を新たにすることではなく、心の向きをイエス様に向けることです。罪を原語では「ハマルティア」と言います。これは「的をそらす」という意味です。本来、私たちが見つめて歩むべきイエス様から方向がずれていることが、罪の根本なのです。イエス様から的がずれて、私たちが向かっているのは「自分」です。「自分はラクをしたい」「自分のものにしたい」「自分が一番偉い」「自分が一番大切」・・・と、何でも自己中心に考えることから、罪の行為が生まれます。


『罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。』(新約聖書 ローマ人への手紙 6:23)


この聖句にあるとおり、自己中心を持ち続けると死に至ります。心の中が死んだ状態になるのです。その解決は、心の向きを自己中心からイエス様へと変えることです。そして、イエス様に心を向きを変えた人には、永遠のいのちをくださると約束されています。

もう一度冒頭の聖句に戻りますが、「そういうわけですから」という言葉で始まっています。「どういうわけで」なのか、直前の節に書かれています。


『…すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。』(新約聖書 ローマ人への手紙 11:36)


私たちは何か良いことをしたから救われたのではなく、私たちへの救いの計画は神によって始まり、神によって成し遂げられ、神の栄光に至ります。すべては神の恵みであり、私たちにはその恵みがあふれるばかりに与えられています。「そういうわけで」、パウロは私たちに自分自身をささげることを勧めています。それが「霊的な礼拝」だとありますが、これは「理にかなった」「当然なすべき」礼拝という意味です。日曜日の礼拝の時だけではなく、毎日の生活のあらゆる場面で、自分自身を神に委ね、イエス様に心を向けて生活することが、礼拝なのです。「この世と調子を合わせてはいけません」の「この世」とはいろいろな価値観を持つ人々のことです。私たちは人の価値観ではなく、神の価値観に従うべきです。


『私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。…[中略]…私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。』(新約聖書 ローマ人への手紙 3〜8節)


神は私たち一人一人違う者として造られました。それは一人一人が必要だからです。私たちは性格も、賜物も、境遇も、お互いに持っている物が違うので、お互いに慎み深い考えをすることを勧められています。そして、ここにいくつかの賜物が記されています。「預言」「奉仕」「教える」「勧め」「分け与える」「指導」「慈善」それぞれの賜物にこの後の節は対応していると言われています。


『愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。』(新約聖書 ローマ人への手紙 12:9)

『預言とは、聖書のことばを正しく人に伝えることです。この賜物を持つ人は、人を責める気持ちからではなく、愛を持って語り、ごまかしがあってはなりません。
兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。』(新約聖書 ローマ人への手紙 12:10)


『私たちはそれぞれ奉仕しますが、ここでいう奉仕は、特に人に仕える賜物を指しています。人のことを補う働きをしたとき、「やってやった」と思うのではなく、「その人に仕えることができて良かった」と尊敬の思いを持つようにしましょう。
勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。』(新約聖書 ローマ人への手紙 12:11)



教える賜物のある人は、知識があるので祈ることを忘れがちです。神にさせていただいていることを忘れてはなりません。


『望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。』(新約聖書 ローマ人への手紙 12:12)


「勧め」とは励ます賜物のことです。励ます人は神に望みを持っていなければ励ますことがはできません。

13〜15節はそれぞれ「分け与える」「指導」「慈善」賜物を持つ人に書かれています。


『互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。』(新約聖書 ローマ人への手紙 12:16)


3節から16節までは、クリスチャン同士の関係において、神が私たちに求めておられることです。17節以降は、クリスチャンでない人たちから、迫害や冷たさ、苦々しい思いを受けるときに私たちがとるべき態度ついてです。


『だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。』(新約聖書 ローマ人への手紙 12:17〜21)


不当な苦しみを受けたときでも、神が私たちに言われるのは、人に親切にすることです。親切にしてもなお、さらに仕打ちを受けることがあるかもしれません。そんなとき、主は言われます。「愛する人たち」。神は私たちを愛しておられ、苦しみを充分ご存じです。その上で、敢えて私たちが怒りにまかせて復讐するのではなく、親切にすることを望まれます。それは、神ご自身が復讐し、一人一人にふさわしい報いを与えるからです。私たちには予測がつきませんが、神は先を見越して最善のことをされるので、それに任せるべきなのです。悪をもたらした人が心を一新し、悔い改めて神のもとへ行き、和解するという結果になれば、すばらしいことです。相手に親切にすることで、いつか相手がハッと気づくことがあるかもしれません。自分で復讐せず、神にお任せすることで、神が考える一番良い結果へと導いてくださいます。


毎日、私たちの心をイエス様へと向け続けましょう。そうすれば、神ご自身が私たちをきよめ、造りかえてくださいます。



神木イエス・キリスト教会


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