『彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。』(新約聖書 使徒の働き 17:1〜3)
パウロが語っている福音について、復習します。人が神により造られたことは、遺伝子というプログラムがあることによって明らかですが、神は人に自由意志を与えました。自由意志とは、自由に選択することができるということです。そして、もし神の意志に反する選択をすると、罪責感を持つようになっています。
この罪責感から逃れるため、人は様々な宗教を作り出しました。それらの宗教は、良い行ないをすることによって罪責感から逃れようとします。しかし、キリスト教は、人が罪を犯したら必ず罰を受けなくてはならないこと、その罰とは死であり、どんなに良いことをしてもゆるされないことをはっきりと告げています。
神は人に自由意志を与えた時点で、人が罪を犯すことを予知していました。ですから、同時に罪をゆるし、救い出す道も用意していました。それがイエス・キリストによる十字架です。私たちの罪の罰である死を罪のないイエス様が肩代わりしてくださいました。そのことを信じる人はゆるされ、もはや罰を受けないのです。
罪がゆるされるということは、もはや死がありません。イエス様の復活はそのことを示すためのものでした。私たちの体は滅びますが、たましいは永遠のいのちを与えられ、永遠に神と共に生きるようになります。復活は常識では考えられないことですが、それが事実である証拠として、復活がなかったとしたら説明のつかないことがたくさんあります。日曜日が全世界的に休日であることもその一つです。復活の前は、土曜日が安息日でした。しかし、復活後、クリスチャンは日曜日に礼拝をするようになり、世界的にも休日として定着したのです。また、パウロ自身、自分の人生が180度変わったことこそが、イエス・キリストの復活によることを一番知っていました。
「イエスこそ、キリストなのです」とあります。現在は「キリスト」と言えば、イエス様を指しますが、当時「キリスト」とは、固有名詞ではなく、「油注がれた者(王に対して使う言葉)」または「救い主」という意味で使われていました。多くのユダヤ人たちは、自分たちが待ち望んでいる救い主がイエス様であるとまだ信じていなかったので、パウロはここでイエス様がキリスト(救い主)であると言っているのです。
『ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。・・・ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。・・・彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行ないをしているのです。」こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。彼らは、ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂にはいって行った。ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。』(新約聖書 使徒の働き 17:5〜11)
パウロが伝道していると、いつでもユダヤ人たちがねたみにかられ、騒動を起こし、パウロたちは危険な目に遭い、その場所から逃げて別の所へ行って伝道する、というパターンが繰り返されています。私たちがもしそのような目にあったら、「神のためにやっているのに、なぜ」とつぶやかないでしょうか。私たちはこういう状況でつぶやくことが得意です。
パウロはこういった状況の中、3つの対処をしています。それは次のことです。
1.つぶやかない
なぜでしょうか。それは、神の計画が自分の思いより深いと知っていたからです。自分の思い通りにならないとつぶやくのは、自分の思いが一番優れていると思っているからです。私たちはどれだけ将来を見通せるのでしょうか。神の計画が最善であることを忘れてはなりません。
もしパウロが迫害に遭わなかったら、このように場所を転々とすることはなく、1カ所に長くとどまっていたでしょう。迫害の結果、多くの場所で伝道することになり、福音が広まっていったことが分かります。また、伝道した地域の人たちも、パウロに頼るのではなく、主にのみ頼ることを教えられました。また後にパウロは牢獄で過ごすことになり、伝道の働きがストップしたかのように見えますが、その間に新約聖書の多くの書簡が書かれ、私たちは今その恵みを受けているのです。
2.感謝する
『つぶやかないだけでなく、さらに進んでパウロは感謝していました。ですから彼は、神は私たちにどんなときでも感謝することを望んでおられると、手紙の中に書いています。』(新約聖書 テサアロニケ人への手紙 第1 5:18)
3.前に進む
迫害によって場所を追われたパウロは、何もせず隠れていたのでしょうか。そうではありません。追われた場所でまた同じように危険に遭うかもしれないのに、ユダヤ人の所へ行って伝道しているのです。私たちは問題にぶつかると、何もできなくなることがあります。実はそれが問題です。パウロが別の箇所で、時が良くても悪くても福音を伝えなさい(Uテモテ4章2節)と書いているように、どのような状況でも福音を伝えることをやめてはなりません。神の計画があるのですから、神がこの状況にもかかわらず、最善をなしてくださることを信じて前に進んでいきましょう。
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