パウロとバルナバは各地を伝道して回っていました。アンテオケというところで、安息日の礼拝でパウロは奨励の言葉を求められます。今回は彼がそこで語ったメッセージについて見ていきましょう。
『…「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々。よく聞いてください。この民イスラエルの神は、私たちの先祖たちを選び、民がエジプトの地に滞在していた間にこれを強大にし、御腕を高く上げて、彼らをその地から導き出してくださいました。そして約四十年間、荒野で彼らを養われました。それからカナンの地で、七つの民を滅ぼし、その地を相続財産として分配されました。これが、約四百五十年間のことです。その後、預言者サムエルの時代までは、さばき人たちをお遣わしになりました。それから彼らが王をほしがったので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間お与えになりました。それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。』神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。』(新約聖書
使徒の働き 13:16〜23)
彼はまず、イスラエルの歴史の話をします。イスラエルの長い歴史を説明する際、彼は、その歴史をイエス・キリストに至る道のりとして捉え、要約しています。彼が重要視していたのは、イエス・キリストによる救いに至る、神の御業です。ここで、私たちが学ぶことは、自分の人生において何を重要視するのかということです。自分の過去を要約するとしたら、あなたは何をポイントにするでしょうか。つらかったことでしょうか、それとも功績でしょうか。創世記にアダムの息子であるカインとセツ、それぞれの家系について説明されています。カインの家系は、自分たちの功績を並べ立てていることから、それを重要視していたと推測できます。それに対し、セツの家系の箇所には、功績は何一つ書かれず、ただだれが何年生きたかということと、時々、神との関わりが記されています。セツから何世代も後にノアが生まれ、やがてカインの家系は途絶えます。
私たちの人生において、一番重要だったのは何でしょうか。それは救われたことです。私たちが人生で経験してきた様々なことは、救いに至るために与えられたものではなかったでしょうか。「神のみわざに目を留めよ。(旧約聖書 伝道者の書 7章13節)」という御言葉があります。私たちの人生には神の恵みが満ちていて、それはすべて私たちを救うためであったことを忘れてはなりません。パウロはイスラエル人たちに、自分たちの歴史が自分たちの救いのためであったことを再認識させたかったのです。その上で、次に彼が語ったことを見てみましょう。
『この方がおいでになる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に、前もって悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていました。ヨハネは、その一生を終えようとするころ、こう言いました。『あなたがたは、私をだれと思うのですか。私はその方ではありません。ご覧なさい。その方は私のあとからおいでになります。私は、その方のくつのひもを解く値うちもありません。』兄弟の方々、アブラハムの子孫の方々、ならびに皆さんの中で神を恐れかしこむ方々。この救いのことばは、私たちに送られているのです。
エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者のことばを理解せず、イエスを罪に定めて、その預言を成就させてしまいました。そして、死罪に当たる何の理由も見いだせなかったのに、イエスを殺すことをピラトに強要したのです。こうして、イエスについて書いてあることを全部成し終えて後、イエスを十字架から取り降ろして墓の中に納めました。しかし、神はこの方を死者の中からよみがえらせたのです。イエスは、ご自分といっしょにガリラヤからエルサレムに上った人たちに、幾日もお現われになりました。きょう、その人たちがこの民に対してイエスの証人となっています。
私たちは、神が先祖たちに対してなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩篇の第二篇に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。』と書いてあるとおりです。神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちることのない方とされたことについては、『わたしはダビデに約束した聖なる確かな祝福を、あなたがたに与える。』というように言われていました。ですから、ほかの所でこう言っておられます。『あなたは、あなたの聖者を朽ち果てるままにはしておかれない。』ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで先祖の仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちることがありませんでした。』(新約聖書 使徒の働き
13:24〜37)
パウロは、イエス・キリストの復活について話しています。死んだ者がよみがえるということは、最も信じがたいことではないでしょうか。しかし、私たちはそのことを信じてクリスチャンとなりました。最も信じがたいことを信じることができたのです。それなら、今ぶつかっている問題を神が解決してくださると信じることもできるのではないでしょうか。だれもが解決できない問題は、それは「死」です。人生で何もかもうまくいったとしても、死から逃れることはできず、死がある限り、すべては空しく終わるのです。神はすべてのことが空しいことを教えるために、ソロモン王にすべての物を与えました。地上で最大の栄華を手にした彼がたどり着いた結論は、「空の空。すべてがむなしい」ということでした。どんなに問題を抱えていても、それは残りません。そして、最大の問題である「死」は復活によって問題ではなくなります。私たちはイエス・キリストを信じる信仰によって、イエス・キリストとともに復活するのです。地上での体は失っても、たましいは永遠に天で神とともに生きるのです。
『ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。ですから、預言者に言われているような事が、あなたがたの上に起こらないように気をつけなさい。『見よ。あざける者たち。驚け。そして滅びよ。わたしはおまえたちの時代に一つのことをする。それは、おまえたちに、どんなに説明しても、とうてい信じられないほどのことである。』」ふたりが会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだ。会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちが、パウロとバルナバについて来たので、ふたりは彼らと話し合って、いつまでも神の恵みにとどまっているように勧めた。』(新約聖書
使徒の働き 13:38〜43)
次にパウロは、救いについて語っています。ユダヤ人たちは律法を守るという「行ない」によって救われると信じていました。しかし、彼は救いが「恵み」によるのだと伝えます。イエス様が地上において一番最初に語ったメッセージは、「心の貧しい者は幸いです」ということでした。貧しさとは、恵みが必要であることをあらわします。心の貧しい者とは、神にあわれみを求めなければ自分は生きていけないと知っている者のことです。私たちは人生の様々な出来事を通し、そのことを知ります。信じる者に条件なしに与えられる救いという恵み、そこにとどまり続けましょう。 |