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2007年4月29日
1+∞に気づいたペテロ 
(新約聖書 使徒の働き 9章32節〜43節)

『ヨッパにタビタ(ギリシヤ語に訳せば、ドルカス)という女の弟子がいた。この女は、多くの良いわざと施しをしていた。ところが、そのころ彼女は病気になって死に、人々はその遺体を洗って、屋上の間に置いた。ルダはヨッパに近かったので、弟子たちは、ペテロがそこにいると聞いて、人をふたり彼のところへ送って、「すぐに来てください。」と頼んだ。そこでペテロは立って、いっしょに出かけた。ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、「タビタ。起きなさい。」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちとを呼んで、生きている彼女を見せた。このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。』(新約聖書 使徒の働き 9:36〜42)


この箇所で、死んだ人がよみがえるという奇蹟が起こりました。このエピソードを通して神様が私たちに語っておられることは、あきらめてはならないということです。死んだ人を前にすれば、誰もがあきらめます。しかし、人が不可能だと思うことも神様にとっては不可能ではありません。私たちがあきらめるのは、神様ではなく自分を見ているから、つまり不信仰なのです。


イエス様は奇跡を行なった後、よく誰にも言わないようにと言われました。しかし、人々は黙っていませんでした。そして群衆が押し寄せますが、イエス様はそこから立ち去られます。人は見えるところを中心に考えます。もちろん見える奇蹟を求めても良いのです。しかし、神様は私たちが本当の奇蹟を求めることを望んでおられます。求めなければならない奇蹟、それは「神を信頼できる人になる」という奇蹟です。


見える奇蹟は不完全です。死んだ人がよみがえっても、いずれ死にます。病が癒されても誰も死から逃れられません。見えるものはすべて滅びます。しかし滅びないものがあります。それはたましいです。たましいが救われ、永遠のいのちを持ち、神を信頼する者となること、これが神様が私たちに与えたい本当の奇蹟です。


実はこの箇所において、人がよみがえること以上の奇蹟が起きているのです。それは、ペテロが造りかえられたことです。ペテロは以前、イエス様がラザロをよみがえらせたとき、他の弟子たち同様、不信仰でした。しかし、この箇所でのペテロは、病人をいやし、死人をよみがえらせました。それはもはや自分ではなくイエス様を見て、完全に信頼する者となっていたからです。


自分一人だと思うと、できないとあきらめるしかありません。しかし、ともにおられる神様を見るなら物事は全く変わって見えます。私たちは数字の「1」あるいは「10」あるいは「100」かもしれません。しかし、どんな数字も+∞(無限大)で∞(無限大)となるのです。神様は無限大な方です。神様はその大きさを示すために宇宙を造られました。私たちはその神様の一部であると同時に、神様が私たちの内におられます。神様は何度も言われます。「インマヌエル(わたしはあなたとともにいる)」と。イエス様が十字架で流された血によって私たちは贖われました。「贖い」には「覆い隠す」という意味が含まれています。無限大である神様が私たちを覆い隠しているのです。


『わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。」恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。』(旧約聖書 イザヤ書 41:9,10)


自分の足りなさ、問題を見ることは意味がありません。ともにおられる神様の存在に気づかないこと、私たちが神様の中にいることに気づかないことが問題です。私たちは単独で存在しているのではなく、神様がいてはじめて成立しています。そのことに気づき、どんなときにも神様を信頼するよう変えられていくことを求めていきましょう。



神木イエス・キリスト教会


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