『多くの日数がたって後、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、その陰謀はサウロに知られてしまった。彼らはサウロを殺してしまおうと、昼も夜も町の門を全部見張っていた。そこで、彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せ、町の城壁伝いにつり降ろした。』(新約聖書 使徒の働き 9:23〜25)
サウロはクリスチャン迫害の先頭に立って、さらに迫害を推し進めるためにダマスコへ向かう途上、主に捉えられ回心し、今度は福音を伝え始めました。そのことに衝撃を受けたユダヤ人たちはサウロを殺す計画を立てます。サウロは後にパウロとして新約聖書の大部分を書き、教会を建てあげる重要な役割を果たす人物です。
そのサウロをユダヤ人の手から逃れるのを助けた人たちのことがここに記されています。この人たちがいなかったら、新約聖書の大部分がなかったかもしれません。そんな重要な働きをした彼らですが、ここには名前も記されず、サウロの活躍の方が目立って書かれています。ここからどういう事が分かるでしょうか。
神様には大きな計画があり、私たちはその一部を担う者です。私たちはそれとは知らず、神様の計画の中で役割を果たしていることがあります。自分のしていることはたいしたことがないと思うかもしれません。目立つ働きをする人もいれば、目立たない働きの人もいます。人は目立つ働きを素晴らしいと思いがちです。しかし、神様にとってはそのどちらも同じように欠けてはならない大事な存在です。
『サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間にはいろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコに行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。それからサウロは、エルサレムで弟子たちとともにいて自由に出はいりし、主の御名によって大胆に語った。』(新約聖書 使徒の働き 9:26〜28)
サウロに対して、弟子たちの反応が二つに分かれた様子が書かれています。バルナバ以外の弟子たちはサウロの過去を見て、彼を拒絶しました。一方、バルナバはサウロの過去は見ず、未来を見て彼を受け入れました。これは私たちの物の見方とも通じます。過去を見ると、希望がありません。しかし、将来を見ると、神が人を造りかえることができるので、希望を持つことができます。結果的に、バルナバが正しかったのですが、過去と将来どちらを見るか、信じるかが、心を生かしも殺しまします。それならば、心を生かす方を信じる方がよいのではないでしょうか。
『こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。』(新約聖書 使徒の働き 9:31)
サウロはユダヤ人たちに追われて逃げることになりました。命を狙われて逃げている状態は、人生において最大の危機のように思われます。しかし、彼はそれをチャンスだと考えました。命を狙われているからもう何もできないとあきらめるのではなく、各地を回ることで福音を広めていく機会が与えられたと考え、実際に行く先々で福音を語り、教会の基礎を築いてゆきました。
困難をチャンスと捉える逆転の発想は、最初にイエス様が教えてくださったものです。イエス様は「心の貧しい者は幸いです。悲しむ者は幸いです。」と言われました。聖書の他の箇所にも、試練をこの上もない喜びと思いなさいと書かれています。人は困難にぶつかったとき、だめだと落ち込んだり、あきらめることを選択しようとします。しかし、神様は私たちがそれを神様の栄光が現される良き機会だと捉えるように教えています。
この箇所に「聖霊に励まされて」とありますが、これがなければ私たちは何もできません。神様の前で私たちは見栄をはる必要はありません。私たちには励まし、助け、慰めが必要です。自分の弱さを神様の前にさらけ出し、助けを求めましょう。神様は喜んで大いに助けてくださいます。日々、聖霊に励まされて進んでいきましょう。 |