メッセージ集TOPへ
2007年4月15日
ダマスコの途上 
(新約聖書 使徒の働き 9章1節〜22節)

『さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。』(新約聖書 使徒の働き 9:1〜9)


クリスチャンに対する迫害に燃えるサウロ(のちのパウロ)はさらに迫害の手を伸ばすためにダマスコへ行く途上、主によって捉えられます。このことはクリスチャンの側からすれば、主は信じる者を見捨てないことが分かります。そしてもうひとつ大切なことがわかります。それは、神に主権があるということです。人はなぜ争うのでしょうか。それは、相手を変えたいと思うからです。しかし、人を矯正するのは神です。サウロがこのように変わるとは誰一人想像も期待もしませんでした。しかし、神には変えることができた。ここに希望があります。争ってしまう私たちに対し、主はこのように言われます。


『主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び、反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう。』(新約聖書 テモテへの手紙第II 2:24〜25)


サウロは主に捉えられたとき、目は開いていても見えなかったとあります。それは、私たち自身の姿でもあります。世界は神の愛で満ちあふれています。しかし、それが見えている人と見えていない人がいます。どんなに学問を学んでも見えない人がいます。また、自分のことを分かっているようでも分かっていないこともあります。また、御言葉を分かっているようで分かっていないこともあります。例えば、私たちは聖書を通して、争ってはいけないこと、人を愛することを学んでいます。しかし、現実には争ったり、さばいたり、人を愛せないでいるのは、御言葉を本当に分かっていないからです。御言葉が本当に分かるように、心の目を開いてくださるのは聖霊様です。ですから、あわれみを求めて心の目が見えるようにしてくださいと祈りましょう。


『・・・そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、食事をして元気づいた。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいた。そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。これを聞いた人々はみな、驚いてこう言った。「この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではないのですか。」しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。』(新約聖書 使徒の働き 9:10〜22)


サウロはこのことで生き方がまるで変わり、クリスチャンを迫害するために行った町で、福音を伝え始めました。このことは私たちに次の3つのことを教えます。


1.イエス・キリストの真実性

聖書が書かれた当時は、まだイエス・キリストを知る証人がいたときでした。サウロの存在やここで記述されている出来事も、知る人が大勢生きていました。嘘を書けない状況の中で、書かれていることですから、これが真実であることを表しています。


2.人生はやり直しがきく

サウロは生き方が180度変わりました。神はやり直すチャンスを与えてくださるのです。


3.神は過去を無駄にしない

ユダヤ人にとって誰が旧約聖書で預言されたキリストかということが大問題でした。サウロはそれがイエス様であることを証明しました。「証明」という言葉は聖書で2回しか使われていませんが、証明されたものとは、反論の余地のない真実であることを表します。サウロはイエス様がキリストであることを「証明」してしまったので、ユダヤ人たちはうろたえました。


なぜ彼には証明することができたのでしょうか。それは、彼がパリサイ人として真面目に聖書を学んできたからです。これまでは、その知識が迫害のために用いられていました。しかし、ここに至って、はじめて神に用いられたのです。私たちのこれまでの人生について、無駄な時を過ごしたとか、失敗だったと思うことがあるかもしれません。しかし、神はどんな失敗を犯したとしても、過去を益に変え、生かしてくださいます。


モーセはエジプトでイスラエル人たちを助けようとして失敗し、荒野へ逃げて40年間の時を過ごします。40年間は人の目には無駄だったように思えるかもしれません。しかし、神には深い計画がありました。40年間砂漠で過ごすことによって彼は砂漠で生きる術を身につけ、後にイスラエル人たちを砂漠で導くことができたのです。


『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』(新約聖書 ローマ人への手紙 8章28節)


私たちは時に間違った選択をすることもあります。しかし、その時もくよくよ悩む必要はありません。神は失敗をも逆手にとって益に変えてくださるからです。神は常に愛の方です。だから、私たちはどんな時も安心して進んでいきましょう。



神木イエス・キリスト教会


神奈川県横浜市青葉区新石川4-22-7
電話:045-914-5455 ファックス:045-914-5508
Email:info@shiboku.net

| HOME | 教会紹介 | 集会案内 | 会堂紹介 | 地図 | メッセージ集 | NOAHの活動 | ENGLISH |