『かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。』(新約聖書 使徒の働き 7:51〜54)
議会でのステパノの弁明は終わりにさしかかります。彼はイスラエル人たちが昔から常に預言者を迫害してきたこと、それなのに今はその人たちを重んじ、今度は預言された救い主を迫害したと指摘します。それを聞いてイスラエル人たちは怒りに燃えます。
ステパノの言葉の中に「かたくな」という言葉が出てきますが、それはどういう意味でしょうか。信仰は聞くことからはじまると聖書にあります。耳からはいる言葉によって心が変わるのです。彼は「かたくな」を「心と耳に割礼を受けていない」状態と言い換えていますが、それは耳を閉ざした状態、具体的には聞かない、従わないという心の状態です。この「かたくなな人」には3つの特徴があります。
1.迫害する
かたくなな人は人を責めます。それは自分を守るためであり臆病であることの現れです。
2.御言葉を守らない
いつも御言葉にどうあるかは二の次にします。
3.怒りを表す
1と2もそうですが、イスラエル人たちがステパノに対してとった行動によく表れています。
それでは、聞く人になるためには何が必要なのでしょうか。それは次の3つのことです。
1. 権威を理解する
プロと呼ばれる人は自分の上に権威を置き、その権威に従っているものです。私たちすべてにとって最も従うべき権威は神ですが、見える人に従うことができなければ神に従うことはできません。私たちにとって見える権威とは、まず家庭では夫であり、子にとっては親であり、職場では上司です。しかし権威の基本は家庭にあります。妻は夫に従うことを聖書は教えています。子はそこで権威を学ぶからです。妻が夫に従わなければ、子は親にも、目に見えるその他の権威に従わなくなります。夫は夫で権威を乱用してはいけません。妻を愛すること、子をいらだたせないことを聖書は教えています。
2. 自分を知る
自分の弱さ、罪に気づくと自分には神が必要であると知ります。神は私たちの弱さをみなご存じで、弱さを助けるためにともにいて下さるのですから、何も隠す必要はありません。
3. 目標を持つ
私たちクリスチャンにとっての最終目標はキリストと似た者になることです。愛を持って生きられるよう、平安を得て生きられるよう・・・と人それぞれ思い描くでしょう。プロになろうと思ったら師の言うことを聞きます。キリストと似た者になることを目指すなら、神のことばを聞きます。
『しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。
こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。』(新約聖書 使徒の働き 7:55〜60)
ステパノが人々に殺されるとき、祈った言葉は私たちに二つのことを教えてくれます。
1. 主イエスよ。私の霊をお受け下さい。59節
この言葉を通して、イエス様は人ではなく神であり、私たちの救い主はイエス様だけであることが明言されています。
2. この罪を彼らに負わせないでください。60節
これはイエス様が十字架上で言われた言葉でもあります。彼はなぜこのように祈ることができたのでしょうか。このメッセージを理解するために、私たちを苦しめるものを理解する必要があります。
私たちを苦しめるのは執着心です。それは人によく思われたい、愛されたいといった欲求であり、誰もが持つ生きる原点とも言えます。人は認められ、愛されることによって自分の価値を確認し、存在理由を見出します。神によって自分の価値を正しく認識できればよいのですが、人にそれを求め、認められない場合、嫉妬、ねたみが生まれ、それが憎しみへと発展します。嫉妬、ねたみのうちはマッチの火でも憎しみとなると山火事のようになり、消すのは簡単ではありません。
憎しみとなった戦うことができるのは、神の愛だけです。愛はゆるします。憎んだら自分を失ってしまいます。どんなに、相手を憎む理由があると思っても、憎んでしまったら、その憎しみによって自分が一番苦しいのです。憎まないでゆるすことが、私たちの心を守ります。ステパノは憎しみよりもゆるすことを選び、平安のうちに主のもとへ行きました。しかし、分かっていてもなかなかできず、そのような愛を持てない私たちです。だからこそ主のあわれみを求めて祈り、ゆるすこと、愛することを目指していきましょう。 |