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2007年2月11日 礼拝メッセージ
神の権威を学ぶ
(新約聖書 使徒の働き 4章32節〜5章11節)

『信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。

ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」アナニヤはこの言葉を聞くと、倒れて息が絶えた。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。青年たちは立って、彼を包み、運び出して葬った。

三時間ほどたって、彼の妻はこの出来事を知らずにはいって来た。ペテロは彼女にこう言った。「あなたがたは地所をこの値段で売ったのですか。私に言いなさい。」彼女は「はい。その値段です。」と言った。そこで、ペテロは彼女に言った。「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。見なさい、あなたの夫を葬った者たちが、戸口に来ていて、あなたをも運び出します。」すると彼女は、たちまちペテロの足もとに倒れ、息が絶えた。はいって来た青年たちは、彼女が死んだのを見て、運び出し、夫のそばに葬った。そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。』(新約聖書 使徒の働き 4章32節〜5章11節)



この箇所で、初めて「教会」という言葉が出てきます。この時期は、ペテロをはじめとした弟子たちによって教会の基礎が造られるという大事な時期でした。そんな中で衝撃的な出来事が起こります。なぜこのようなことが起こったのか、その理由があります。教会とは、神様を信じる人の群れであり、中心に神様がおられるところです。神様の権威によって秩序が保たれるべきところです。それがなければ、ただの人間的な集まりになってしまいます。ですから、神様の権威を皆がわきまえ知る必要がありました。


ペテロはアナニヤとサッピラに献金を要請したわけではありませんでした。彼らは自分の意志で献金を持ってくる際、それが土地を売った代金すべてだと敢えて偽って持ってきたのでした。ペテロが問題にしたのは彼らが神に捧げるものに関して嘘をついたことでした。嘘をつくことは、私たちもついしてしまうことですから、それで命を奪われるなら、私たちはとっくに奪われています。しかし、これは初期の教会に神の権威を教えるためになされたことであって、現代にこのような方法で教えられることはありません。


この出来事を通して教会の人々に非常な恐れが生じたとあります。神の権威の認識が教会の土台となります。では、私たちはどれだけ神の権威を理解しているでしょうか。神の権威を理解するとはすなわち「従う」ことです。人は権威というものを嫌がりますが、それは権威が乱用されるからです。正しい権威は必要であり、それがなければ無秩序に陥ります。神様は私たちに権威を教えるために、目に見える権威を置かれました。


『子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。 奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行ない、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。』(新約聖書 エペソ人の手紙 6章1〜7節)


子供を育てるにあたって、念頭に置くべきことです。親を敬い従うことによって、神を愛することを子供は学びます。そして、権威を持っている親はそれを自分の感情のままに乱用してはいけません。また、奴隷という言葉がありますが、現代で言うなら、職場において上司に従うことを教えられています。ただし、不正を行なうことを命じられた場合は別です。神の教えに反しない範囲で従い、反することには戦うことが、クリスチャンとして働く際の姿勢です。神様がこのように従うことを重視されるのはなぜでしょうか。


『イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」』(新約聖書 ヨハネの福音書 8章12節)


アインシュタインは時間も空間も一時的であり、いつかは消えてなくなるものであり、光だけが唯一絶対的なものであることを発見しました。光の中を歩むことは、神様とともに歩み、神様によって力を引き出されて生き生きと生きることです。しかし、それを阻むものがあり、私たちが十分に力を発揮できないようにします。それは「反抗心」です。この反抗心に気づき、悔い改めて神の御心を行える者となるため、神は権威に従うことを教えているのです。


自分の中の反抗心にはなかなか気づかないものです。反抗心には2つの特徴があります。ひとつは「どうして」という言葉です。アダムとエバに対する神様のただひとつの命令に対し、まずエバが背きました。「園の中央にある木の実を食べてはいけない」という命令に対し、他の木の実は食べていいのに、その木の実からはどうして食べてはいけないのかと思いました。神のことばに対して「どうして?」という思い、これが反抗心です。私たちが何か言われたとき、「どうして」と思う時は反抗心があります。しかし、神が命じることに対して、理由が必要でしょうか?私たちは神と神によって立てられた権威にただ従うだけです。


もうひとつの特徴は、言い訳です。福音書の中で、イエス様の弟子になりたいと言う青年にイエス様は「来なさい」と言いましたが、彼は用事を済ませてから行くと言いました。それに対し、イエス様は「もう来なくてよい」と言われました。私たちもよく言い訳をしますが、それは「嫌だ」と思っているからです。言い訳ではなく素直に謝ればよいのです。


神様は私たちが砕かれて成長するために周りに嫌な人を置かれることがあります。しかし、その人に仕えることによって、良い関係が生まれ、神との関係も良いものになります。裏を返せば、その人に仕えないから関係が変わらないとも言えます。この世の中は、神の権威を学ぶ学校です。与えられている環境の中で、従い、仕えることによって、神様のすばらしさを発見し、御心を行なう者として成長していきましょう。



神木イエス・キリスト教会


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