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2007年1月28日 礼拝メッセージ
イエスの御名以外救いはない
(新約聖書 使徒の働き 4章1〜21節)

『足の不自由な人が癒され、礼拝しているのを見て驚いている人々に、ペテロは復活されたイエス・キリストをのべ伝え、男性だけで5000人もの人々がイエス・キリストを信じました。しかし、イエス・キリストを救い主だと認めていない大祭司をはじめとした指導者たちはペテロたちを捕らえ、尋問します。その時、ペテロは次のように語りました。
そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行なった良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。』というのはこの方のことです。この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」』(新約聖書 使徒の働き 4章8〜12節)



『この方』『御名』とは、イエス・キリストを指してます。イエス・キリストだけが救い主だと書かれています。この聖書は、一字一句変わらず昔から引き継がれてきました。真実でないもの、人から出た考えは時代とともに淘汰されていくものですが、聖書のことばは今も人にとって生きる指針であり、多くの国家が聖書を基盤として建てられました。ですから、聖書に書かれていることばは信頼すべきものです。


救いの御名としてのイエス・キリスト、それを説明するにあたって、神の名前について触れておきます。神が示されたご自分の名前として、「YHWH」という文字があります。これは神聖4文字と呼ばれ、正確な読み方は誰にも分かりません。神もまたご自分の名前をむやみに呼んではならないと言われたので、人々は代わりに『主』と呼ぶようになりました。旧約聖書の中で太字で『主』と書いてあるところは、神聖4文字が書かれているところです。


また、別の箇所では、神はご自分のことを『エゴ・エイミ』と言われました。訳すと『ありてあるもの』という意味ですまた、『キリスト』訳すと『救い主』という言葉も、神だけにゆるされた呼び名ですが、弟子たちはイエス様のことをキリストと呼び、イエス様を信じた人々によって『キリスト』とはイエス様を指す言葉として、浸透しました。


つまり、イエス様は神にしか許されていないあらゆる呼び名をご自分に使っているのです。実際、イエス様は神であるので当然のことなのですが、このことが理由で指導者たちの怒りを買い、十字架刑に処せられました。


『ユダヤ人たちはイエスに答えた。「良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」』(新約聖書 ヨハネの福音書 10章33節)

『彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。そればかりでなく、いやされた人がふたりといっしょに立っているのを見ては、返すことばもなかった。』(新約聖書 使徒の働き 4章13〜14節)


ペテロをはじめ弟子たちはみなイエス様が捕らえられた時、裏切って逃げ出しました。少し前にはそんな状態だった弟子たちが、ここでは大胆に福音を語る者となっています。その理由は8節にあるように、聖霊に満たされたからです。私たちもまた、聖霊に満たされることによって変えられます。神のために何かしたいと思っても、私たちには力がありません。裏切ってしまった彼らは復活したイエス様に出会い、そのことばに従って約束を待ち望み、聖霊を受け、生き方が変わったのです。


『彼らは言った。「あの人たちをどうしよう。あの人たちによって著しいしるしが行なわれたことは、エルサレムの住民全部に知れ渡っているから、われわれはそれを否定できない。しかし、これ以上民の間に広がらないために、今後だれにもこの名によって語ってはならないと、彼らをきびしく戒めよう。」
そこで彼らを呼んで、いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない、と命じた。
ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」
そこで、彼らはふたりをさらにおどしたうえで、釈放した。それはみなの者が、この出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、ふたりを罰するすべがなかったからである。』(新約聖書 使徒の働き 4章16〜21節)



神に従って生きていれば、大なり小なり迫害にあいます。人目を気にしてクリスチャンであることを隠すこともあるでしょう。ペテロは、イエス様の御名を語ってはいけないという指導者たちに対し、人の言葉よりも神のことばに従うことを選ぶと言いました。


リチャード・バンブラント牧師は、共産国家ルーマニアで刑務所に入れられ、拷問を受け、途中、入ったら誰も出てこないという死の部屋にも入れられ、計14年間、苦難の中で過ごしました。後に、このことが国際的に明らかになりましたが、彼はなぜこの苦難を耐えることができたのでしょうか。彼は、一つの御言葉が自分を支えたと証ししています。それは次の御言葉です。


『義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。』(新約聖書 マタイの福音書 5章10節〜12節)


私たちが出会うあらゆる苦難の中で、私たちを支えるのは変わることのない神のことばです。それ以外のものは廃れていくのです。どのような場合にも神のことばを優先させる理由はここにあります。神のことば以外には何も永遠に残らないからです。ですから、私たちは臆することなく、神のことばに従っていきましょう。


『あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 1章23〜25節)



神木イエス・キリスト教会


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