『イエス・キリストの十字架、復活について証しするペテロの言葉を聞き、毎日3000人の人が救われました。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。』(新約聖書 使徒の働き 2章42節)
ここに「交わり」とありますが、聖書が教える交わりを正しく理解する必要があります。交わりには、良い心を成長させる「御霊の交わり」と、悪い心を成長させる「肉の交わり」があります。どちらの交わりをしたかどうかは、その結果、心に何が生じたかで判断できます。では、それぞれの交わりについて、具体的に見ていきましょう。
『さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。…あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。ある人が、「私はパウロにつく。」と言えば、別の人は、「私はアポロに。」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。』(新約聖書 コリント人への手紙第一 3章1〜4節)
「肉の交わり」によって、心にはねたみや争いが生じます。この箇所からも、教会で分裂が生じたことが分かります。では、どういう交わりが肉の交わりなのでしょうか。
『あなたがたに対するあの人々の熱心は正しいものではありません。彼らはあなたがたを自分たちに熱心にならせようとして、あなたがたを福音の恵みから締め出そうとしているのです。』(新約聖書 ガラテヤ人への手紙 4章17節)
肉とは自分のことです。つまり、肉の交わりとは、自分に関心を持ってもらうこと、認められることを目的とした交わりです。自分を良く見せるため、熱心に何かをすれば、その時はほめられ、良い気分になるかもしれませんが、行き着くところはねたみや争いです。よくドラマで「誰も私のことを分かってくれない」といった台詞が出てきます。「分かってくれない」と思うのは、相手のためではなく、自分のために頑張っていた証拠です。認められること、愛されることを求めて頑張ることで、結果として心に生じるのは苦々しい思いなのです。
アメリカで起こった9.11ハイジャック事故の事実を追った映画「ユナイテッド93」の中で、自分たちの運命を知った乗客たちが、それぞれの大切な人に電話をする場面があります。その中で、彼らが共通して口にしていたのは「愛している」という言葉でした。「愛してほしい」「分かってほしい」といった言葉を口にした人は誰ひとりいませんでした。
死の恐怖を乗り越えさせる交わり、それは私たちを幸せにする交わりです。それは、「愛される」ための交わりではなく、「愛する」交わりです。
『愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。』(新約聖書 ヨハネの手紙第一 4章18節)
愛されたいと思っているときは、いつもどこかに恐れがあります。愛されたいと力むことをやめ、愛することに心を向けると、幸せと平安が来るのです。では、聖書の教える愛について見ていきましょう。
『何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 4章8節)
「多くの罪をおおう」とは、他人の罪をゆるし、さばかないことです。自分が正しいと思うこと、良い、好ましいと思うことと人の行動を比較したりしないことです。
『あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、悪を行なう者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受けるようなことがあってはなりません。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 4章15節)
『あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。』(新約聖書 ペテロの手紙第一 5章3節)
みだりに他人に干渉するとは、相手を支配することです。親はとかく子を支配しがちです。しかし、愛は支配するのではなく、模範となることだと聖書は言っています。
『こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。
これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であって、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまったのです。ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。』(新約聖書 ペテロの手紙第二 1章5〜10節)
ここに「あらゆる努力をして」何をするように書かれているのでしょうか。「愛すること」です。私たちの目標は愛することです。そうすればつまずくことがないと書かれています。つまずきが起こるのは、自分の枠の中に人が入らなくなったからです。人は自分の枠の中でしか物事を考えられません。ですから、その枠に相手が入らないと、その相手に対してつまずくのです。しかし、愛で対応するのなら、つまずくことはありません。どうしたら、私たちは愛によって生きることができるでしょうか。
この箇所に、愛を備えていない者は、自分の罪がゆるされたことを忘れているとあります。イエス様が私たちのためにしてくださったことを思い出す必要があります。あなたは人のことを悪く言うが、あなたの罪はイエス・キリストの死によってゆるされたのではないでしょうか。それなのに人をさばくのでしょうか。さばくことは、実は自殺行為に等しいのです。自分を傷つけ、成長を止めます。十字架の愛によってゆるされたことを思い起こし、周りの人を愛するなら、一致が生まれ、互いに成長していきます。
神を信じる者は必ず神によって成長し、砕かれていきます。自分の心に何が生まれたかどうかを見て、悪い心が生まれたなら何度でも軌道修正をしながら進んでいきましょう。
イエス様は一番大切な戒めとして、神を愛し、人を愛しなさいと言われました。私たちはクリスチャンとして神を愛する姿勢も今一度、吟味する必要があります。年の初めに次の3つのことを大切にし、神を愛しているかどうか、自分に照らし合わせてみましょう。
1.礼拝を大切にしているか。
2.十一献金をしているか。
3.毎日祈っているか。
神様に対する姿勢、人と関わる姿勢、これらを御言葉と照らし合わせて吟味し、軌道修正をする中で、私たちは成長していきます。 |