『 テオピロよ。私は前の書で、イエスが行ない始め、教え始められたすべてのことについて書き、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。』(新約聖書 使徒の働き
1:1,2)
テオピロという人はキリスト教を養護する高貴な立場の人だと思われます。「使徒の働き」はもっとキリスト教について知りたいというテオピロの要請を受けて、ルカの福音書を書いたルカが書き記したものです。ここでもまた、テオピロという実在の人物に書かれていること、歴史的事実を書かなければ処刑される状況を考えると、この書もまたすべて事実であることを裏付けています。特にルカは事実を正確に記す人物であり、福音書とこの書は歴史書として認識されています。では、書かれている内容を見ていきましょう。
『イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。』(新約聖書 使徒の働き 1:3)
イエス様は復活後40日間弟子たちとともに過ごし、御言葉を語り、ご自分が復活されたことを何度も念を押して彼らに示されました。この40日の間に、キリスト教にとって大切な基礎がつくられました。それはすべて事実に基づいていたので、その先いくら否定されても迫害されてもゆらぐことがありませんでした。また、復活という事実は、彼らに大いに希望を与え、疑う余地を与えませんでした。
私たちがつらくなるのは、神を信頼できなくなるときです。私たちは出来事のせいで、誰かのせいでつらいと思っていますが、そうではなく、私たちがそのことで人を憎み、愛せなくなること、それは神に対する疑いにつながるものですが、それによってつらくなります。しかし、神様は復活を通し、疑いを吹き飛ばす圧倒的な希望を与えてくださっています。
『彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』(新約聖書 使徒の働き
1:4〜8)
弟子たちが言うイスラエル再興とは、自分たちの王国を築くことでした。しかし、イエス様は終わりの時、すなわち神の支配の時が来るという霊的な意味を示され、弟子たちの考え方を軌道修正されました。クリスチャンになる前は、私たちは自分のために、自分の王国を築くために生きていました。しかし、イエス様を信じてからは、神の御心のために生きることを願うようになったのではないでしょうか。
イエス様がここで弟子たちに語られたことは、私たちに語られていることです。それは、体験したことの証人として広めるようにということです。すなわち、私たちが出会ったイエス・キリストの証人となることです。これが私たちの生きる目的です。しかし、イエス様が弟子たちに聖霊によって力を受けるのを待つように言われたように、私たちにはまだ力がなく、聖霊の力をいただく必要があります。
『このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。』(新約聖書 マタイの福音書
5:16)
この御言葉のように私たちの行ないが神様のすばらしさを証しすることができるなら素晴らしいことです。しかし、これは自分の力ですることはできません。神様の力で満たされて押し出される必要があります。神様の力抜きに自分の力でやろうとすれば、とたんにガス欠になります。イエス様は最も大切な戒めは神を愛し、人を愛することだと言われました。御言葉のすべてはそこに凝縮されると。しかし、私たちは神様の力抜きに人を愛することなどできないのです。しかし、神様の力に満たされ、委ねると、自然にうまくいくという体験をすることができます。
弟子たちはいつでも互いに競い、自分の力で神様に従おうとして、結局つまずきました。そんな弟子たちに、イエス様は聖霊のバプテスマを待つように言われました。すぐに自分の力で動かないで、神様の力を待ちなさいと。私たちも、神様に祈り、御言葉に触れ、聖霊の力を待ち望んでいましょう。 |