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2006年11月5日 礼拝メッセージ
復活は事実か
(新約聖書 ルカの福音書 23章47節〜24節7節)

『この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ、「ほんとうに、この人は正しい方であった。」と言った。また、この光景を見に集まっていた群衆もみな、こういういろいろの出来事を見たので、胸をたたいて悲しみながら帰った。しかし、イエスの知人たちと、ガリラヤからイエスについて来ていた女たちとはみな、遠く離れて立ち、これらのことを見ていた。

さてここに、ヨセフという、議員のひとりで、りっぱな、正しい人がいた。この人は議員たちの計画や行動には同意しなかった。彼は、アリマタヤというユダヤ人の町の人で、神の国を待ち望んでいた。この人が、ピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。それから、イエスを取り降ろして、亜麻布で包み、そして、まだだれをも葬ったことのない、岩に掘られた墓にイエスを納めた。この日は準備の日で、もう安息日が始まろうとしていた。

ガリラヤからイエスといっしょに出て来た女たちは、ヨセフについて行って、墓と、イエスのからだの納められる様子を見届けた。そして、戻って来て、香料と香油を用意した。安息日には、戒めに従って、休んだが、週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。見ると、石が墓からわきにころがしてあった。はいって見ると、主イエスのからだはなかった。そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」』(新約聖書 ルカの福音書 23:47〜24:7)



無神論者はキリスト教について、教えは素晴らしいが、キリストの復活は神話に過ぎないと主張します。彼らはキリストは本当は死ななかった、あるいは復活はなかったと信じています。私たちクリスチャンは復活が事実であると信じますが、ただ闇雲に信じているのではなく、確かな根拠に基づく事実であることを知っておく必要があります。


歴史家シャーウィン・ホワイト氏は、「伝説が史実をねじ曲げるのには2世代の時間を要する」と述べました。この言葉により、無神論者のあるジャーナリストは復活が神話であるとする自分の考え方が何の根拠もないものであったと気づきます。福音書が書かれた時期は、イエス・キリストの死後約2年後であり、その頃は当然まだイエス・キリストの死と復活を知る人がまだ大勢生きていました。もし事実と違うこと、つまりキリストは死んでいない、あるいは復活していないのに、死と復活について書かれていたのであれば、人々に受け入れられるはずがません。しかし、キリスト教は勢いを増して広がっていきました。それは、復活が確かな事実であったからに他なりません。


イエス・キリストの復活の記述が、復活後間もなく書かれている−そこには伝説の生まれる余地などなかったのです。イエス・キリストを救い主として認めない人たちは、生き証人がいなくなった頃に根も葉もない噂を流し、イエス・キリストが神であることを否定しようとしてきました。ダヴィンチ・コードもその一つです。復活に関しては、弟子たちが兵士を買収して遺体を持ち去ったとか、兵士たちは居眠りをしていたといった噂も流れました。しかし、ローマの軍隊が墓を警備し、弟子たちが持ち去るのを警戒していたのです。もし持ち去られるようなことがあれば、その兵士たちは厳罰を免れません。つまり、決して警備を怠ることはあり得なかったのです。


どの噂も何の根拠もない作り話であり、そこから聖書の儀典、外典と呼ばれるものも作られました。しかし、それらは真実として認められなかったので、聖書として認定されませんでした。キリストの直接の弟子がキリストの死後間もなく書いた書だけが、歴史的検証を受けて、今日新約聖書として認められているのです。


前述のジャーナリストは、キリストの復活についての検証の結果、「イエスを信じるよりも、イエスの復活はないと信じる方が大きい信仰を要する」と述べました。聖書が嘘の内容だったら、当時の人々はこの書を信頼せず、やがて廃れて、今はもうなかったでしょう。圧倒的な事実であったからこそ、歴史の検証を受けてもなお、書き換えられることなく、今に受け継がれているのです。さらに聖書の記述を通し、聖書の信頼性を見ていきたいと思います。


『私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。』(新約聖書 コリント人への手紙第一 15:3〜7)


パウロが最も大切なこととして書いている内容は、当時クリスチャンの間で信仰告白として用いられていた文の引用です。これは、今日も使徒信条として私たちに受け継がれています。ケパというのはペテロのことですが、ペテロと呼ばれるようになったのは、キリストの復活後しばらく経ってからのことなので、ケパという名で書かれているということは、復活の直後に書かれたことを示します。また、イエス様が復活後500人以上の人に現れたと書かれていますが、復活を知る人がいなければ、これらの記述はあり得ません。


ペテロがキリスト教の基礎を据えましたが、彼が最初にのべ伝えたことは、キリストの復活でした。彼の話が嘘なら、当時の人々は誰も耳を傾けなかったでしょう。しかし、実際は信じる人が次から次へと起こされました。史実の証拠がこんなに多いケースは稀であり、復活の証拠は、他にはない圧倒的な数です。


復活の証拠の2つめは状況証拠です。その一つは弟子たちの変化です。弟子たちはペテロをはじめとして皆、イエス・キリストが捕らえらると逃げ去り、裏切りました。しかし、後に宣教活動を積極的に続け、殉教にまで至りました。彼らの変化をどう説明するでしょうか。イエス・キリストの復活という圧倒的な事実が彼らの人生をここまで変えてしまったのです。次にパウロの回心が挙げられます。彼はイエス・キリストを迫害する役人でした。しかし、彼は全く変えられ、イエス・キリストを宣べ伝え、新約聖書の大部分を書くに至りました。彼は復活された主に出会ったと記しています。


もう一つは日曜日の礼拝です。イエス・キリストの時代、神を信じるユダヤ人たちは安息日を礼拝の日として固く守っていました。安息日は土曜日です。しかし、イエス・キリストを救い主として信じたユダヤ人たちは、主の復活後、固く守ってきた安息日をあっさり捨てて、日曜日に礼拝をするようになりました。それは復活が日曜日だったからです。イエス・キリストの復活の喜びから、日曜日に毎週礼拝を行なうようになり、動物のいけにえは賛美のいけにえに変わりました。


キリスト教はその後、歴史の中で迫害を何度も受けてきました。しかし、そのともしびは途絶えることがなく、今もなお、生けるキリストに出会う人が後を絶ちません。これらの事実に対し、無神論者は打ち勝つ論拠を持っていません。聖書に書かれていることはすべてが真実です。歴史的事実だけでなく、神様のあなたへの約束も真実です。それを私たちが信じることができるなら、幸いです。



神木イエス・キリスト教会


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