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2006年9月3日 礼拝メッセージ
心に住む律法学者
(新約聖書 ルカによる福音書 20章20〜47節)

『さて、機会をねらっていた彼らは、義人を装った間者を送り、イエスのことばを取り上げて、総督の支配と権威にイエスを引き渡そう、と計った。その間者たちは、イエスに質問して言った。「先生。私たちは、あなたがお話しになり、お教えになることは正しく、またあなたは分け隔てなどせず、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。ところで、私たちが、カイザルに税金を納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」イエスはそのたくらみを見抜いて彼らに言われた。「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです。」と言った。すると彼らに言われた。「では、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らは、民衆の前でイエスのことばじりをつかむことができず、お答えに驚嘆して黙ってしまった。』(新約聖書 ルカによる福音書 20:20〜26)


イエス様を訴える口実を得るために、祭司長や律法学者たちは巧妙な質問によってイエスさまを窮地に立たせようとします。しかし、イエス様の完璧な答えに、みな黙ってしまいました。また、復活を否定するサドカイ人たちも、イエス様に復活はあり得ないという答えを導こうとして質問をしますが、イエス様は聖書の記述を通して、彼らの信じている聖書に復活を証明する記述があることを示されます。そして、逆に彼らに質問されます。


『すると、イエスが彼らに言われた。「どうして人々は、キリストをダビデの子と言うのですか。ダビデ自身が詩篇の中でこう言っています。『主は私の主に言われた。「わたしが、あなたの敵をあなたの足台とする時まで、わたしの右の座に着いていなさい。」』こういうわけで、ダビデがキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子でしょう。」』(新約聖書 ルカによる福音書 20:41〜44)


当時、「キリスト」とはイエス様を指す固有名詞ではなく、一般的に救い主という意味でした。ダビデが主と呼ぶキリストのことを、なぜダビデの子と呼ぶのかという問いかけですが、イエス様がここで言わんとしているのは、私たちが聖書を好き勝手に読んでいるということです。当時の人たち同様、私たちも自分の都合のいいように解釈していることをイエス様は指摘し、さらにこう言われました。


『・・・イエスは弟子たちにこう言われた。「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが好きで、また会堂の上席や宴会の上座が好きです。また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」』(新約聖書 ルカによる福音書 20:45〜47)


イエス様が気をつけなさいと言われた「律法学者」とは、具体的にはいったい誰を指すのでしょうか。表面的に解釈すれば、聖書に登場する律法学者たちと読むことができますが、イエス様はここで弟子たち、つまり今のクリスチャンに向けて語っておられます。


律法学者の特徴は、自分が特別な存在でありたいと思っていることです。神様のためと言いながら自分のために立派な行ないをし、人から良く思われたいといつも願っている・・・。それは自分だと素直に思える人は幸いです。律法学者は実は私たちの心の中に住んでいるのです。


律法学者たちは、イエス様によって自分たちの立場が脅かされることを恐れ、不安を抱えていました。そして見栄を飾ることを一生懸命にしていました。私たちもまた、特別でありたいと思うために苦しくなります。なぜ特別でありたいのでしょうか。それは、特別でないと愛されないと思うからです。さらに元を辿ると、人は自分を造られた神様から離れたため、神様の愛を感じられなくなり、不安を抱えるようになりました。心に本来は神様によって満たされる部分が空っぽになり、その隙間を埋めるために人からの愛を求め、愛を受けられるために認められようとしてがんばってきました。しかし、人からの愛は得ることができても一時的で、すぐに空になるのでいつも認められるために頑張らなくてはなりません。また、人から受け入れられるためには本当の自分を隠す必要があるので、さらにつらくなります。


この悪循環からの解決は、自分を造った神様のもとへ帰ることです。具体的には、自分のありのままの姿(弱さ、罪等)を神様の前で認めることです。それらは世の中からは決して評価されないことでしょう。しかし、神様の前に自分を隠せば、神様に近づいていくことはできません。律法学者たちはイエス様と親しく交わることはできませんでした。それは、自分を隠していたからです。


私たちの心を満たすのは私たちを造った神様です。それ以外のものでは、私たちの心は決して満足できないのです。自分を隠さず正直に神様の前に出ましょう。神様は私たちを無条件に愛しておられるので、私たちの本当の姿を見て責めるのではなく、受け入れ、罪を赦し、弱さを覆ってくださいます。神様とのこうした交わりの中で、私たちは恐れや不安から解放されていきます。



神木イエス・キリスト教会


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