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2006年8月27日 礼拝メッセージ
(新約聖書 ルカによる福音書 20章1〜19節)

『イエスは宮で民衆を教え、福音を宣べ伝えておられたが、ある日、祭司長、律法学者たちが、長老たちといっしょにイエスに立ち向かって、イエスに言った。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。あなたにその権威を授けたのはだれですか。それを言ってください。」そこで答えて言われた。「わたしも一言尋ねますから、それに答えなさい。ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、人から出たのですか。」
すると彼らは、こう言って、互いに論じ合った。「もし、天から、と言えば、それならなぜ、彼を信じなかったか、と言うだろう。しかし、もし、人から、と言えば、民衆がみなで私たちを石で打ち殺すだろう。ヨハネを預言者と信じているのだから。」そこで、「どこからか知りません。」と答えた。するとイエスは、「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。」と言われた。』(新約聖書 ルカによる福音書 20:1〜8)



律法学者たちは、イエス様を陥れるために恥をかかせようとして質問しました。それに対するイエス様の答えは完璧で、律法学者たちはぐうの音も出ませんでした。その内容が、今度は律法学者たちを窮地に陥れました。それはなぜかでしょうか。彼らはヨハネのバプテスマが天から出ていることを知っていましたが、自分たちの立場が脅かされないために彼を認めず、拒みました。ですから、天から出たと答えれば、なぜ拒んだのかと責められ、人からと言えば、ヨハネを認めている民衆が怒り、いずれにしても自分たちの立場が脅かされます。そこで彼らが出した答えは「知りません」というものでした。


ここで注目したいのは、彼らは答えが分からなかったのではなく、分かっていたのに言わなかったことです。これを心がかたくなな状態と言います。聖書には心をかたくなにするなと書かれていますが、かたくなな心とは具体的にどのような状態なのでしょうか。次のような特徴があります。


1. 恐れ、不安を隠す
将来や死に対する不安があるのに、ないフリをします。
2. 弱さを隠す
自分の弱さを知っているけど、決して人には見せないようにします。
3. 自分を良く見せる
自分の立場を守ろうとします。


かたくなな心とは、本当の自分を隠している状態、つまり、心の中に壁がある状態です。私たちがぶつかる問題の多くは人間関係の問題でしょう。「なぜ分かってくれない」「あの人は嫌だ」「親しくしたいのにできない」こういった問題の原因はすべて同じで、私たちの心に壁があるためです。真実を言わない、心を隠すための壁が、私たちの心には何重にも築かれているのです。


私たちは人との交わりの中で、自分の中の壁に気づきます。気づいたときが、自分の壁を壊すチャンスです。人の壁を壊して乗り越えようとするのではなく、自分の中の壁を壊すことで、良い関係を築いていくことができるのです。人間関係で悩んでいるのなら、それは相手の問題ではなく、自分の壁が問題であり、問題の原因を壊すチャンスが訪れたのです。


壁を壊すことは、神様に悔い改めることです。本当の自分を出したら拒絶されることを恐れて、私たちは不完全な自分を隠す壁を作ってきました。しかし、神様は私たちが本当の自分を出したとき、受け入れ、赦してくださる方です。私たちが完全になった時ではなく、正直になった時、受け入れてくださるのです。良いことをしないと受け入れられないと考えて、自分でがんばっているうちは、神様は何もすることができません。律法学者たちは行ないが完全でないと神様に受け入れられないと思っていました。私たちも、同じように間違った対応をして、心に壁を築き、その壁に苦しんでいるのです。


『また、イエスは、民衆にこのようなたとえを話された。「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して、長い旅に出た。そして季節になったので、ぶどう園の収穫の分けまえをもらうために、農夫たちのところへひとりのしもべを遣わした。ところが、農夫たちは、そのしもべを袋だたきにし、何も持たせないで送り帰した。そこで、別のしもべを遣わしたが、彼らは、そのしもべも袋だたきにし、はずかしめたうえで、何も持たせないで送り帰した。彼はさらに三人目のしもべをやったが、彼らは、このしもべにも傷を負わせて追い出した。

ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。彼は戻って来て、この農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます。」これを聞いた民衆は、「そんなことがあってはなりません。」と言った。

イエスは、彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。』と書いてあるのは、何のことでしょう。この石の上に落ちれば、だれでも粉々に砕け、またこの石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛び散らしてしまうのです。」律法学者、祭司長たちは、イエスが自分たちをさしてこのたとえを話されたと気づいたので、この際イエスに手をかけて捕えようとしたが、やはり民衆を恐れた。』(新約聖書 ルカによる福音書 20:9〜19)



このたとえで、ぶどう園の主人は神様で、しもべは預言者を指し、3人目の預言者はバプテスマのヨハネを指します。そして、息子はイエス・キリストです。あてはめてみれば、話を理解することができるでしょう。


「礎の石」もイエス・キリストを指します。イエス様につまずく者は滅びます。神様は自然を通し、ご自分の存在を示しておられます。物があることは作った人がいる証拠になるように、生き物がいるということは、それを造った神様がいる証拠なのです。答えは明白であるのに、人はなかなかそれを認めようとしません。しかし、事実を認めるならそれは強い力になります。


神様の存在、そして、自分自身の弱さ、過ち、それらの事実を神様の前に認める時、私たちの心は変えられてゆきます。それは神様との信頼関係を生み、さらには人との関係も改善されてゆくのです。問題なのは私たちの心の壁です。恐れないで本当の自分で神様の前に出ましょう。あとは神様が私たちの心を造りかえてくださいます。



神木イエス・キリスト教会


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