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2006年8月13日 礼拝メッセージ
賢いしもべと悪いしもべ
(新約聖書 ルカによる福音書 19章11〜27節)

『人々がこれらのことに耳を傾けているとき、イエスは、続けて一つのたとえを話された。それは、イエスがエルサレムに近づいておられ、そのため人々は神の国がすぐにでも現われるように思っていたからである。
それで、イエスはこう言われた。「ある身分の高い人が、遠い国に行った。王位を受けて帰るためであった。彼は自分の十人のしもべを呼んで、十ミナを与え、彼らに言った。『私が帰るまで、これで商売しなさい。』しかし、その国民たちは、彼を憎んでいたので、あとから使いをやり、『この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません。』と言った。

さて、彼が王位を受けて帰って来たとき、金を与えておいたしもべたちがどんな商売をしたかを知ろうと思い、彼らを呼び出すように言いつけた。さて、最初の者が現われて言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』二番目の者が来て言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、五ミナをもうけました。』主人はこの者にも言った。『あなたも五つの町を治めなさい。』

もうひとりが来て言った。『ご主人さま。さあ、ここにあなたの一ミナがございます。私はふろしきに包んでしまっておきました。あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。』主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。あなたは、私が預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取るきびしい人間だと知っていた、というのか。

だったら、なぜ私の金を銀行に預けておかなかったのか。そうすれば私は帰って来たときに、それを利息といっしょに受け取れたはずだ。』そして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。』すると彼らは、『ご主人さま。その人は十ミナも持っています。』と言った。彼は言った。『あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている者までも取り上げられるのです。ただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ。』」』(新約聖書 ルカによる福音書 19:11〜27)



しもべとはクリスチャンのこと、主人はイエス様のことです。イエス様が再臨される時に向けて言われた例え話です。主人はしもべにお金を与えて商売するように言いました。イエス様も私たちにそれぞれ賜物を与え、それを用いて実をならすように言われました。


私たちが地上での人生を終えてイエス様に出会う時、イエス様は私たちに賜物を用いてどんなことをしたか聞かれます。ただし、賜物を用いたかどうかは救いとは関係ありません。救いは行ないによるのではなく、イエス様を信じる信仰によるからです。賜物を用いても用いなくても、イエス様を信じていれば救われていることに変わりませんが、イエス様にとって私たちが良いしもべだったかどうか、判断されるということです。


さて、与えられたものを用いた良いしもべと、与えられたものを用いなかった悪いしもべとの違いはどこにあるのでしょうか。以下、悪いしもべの特徴を見ていきますが、ここから私たちが神様の御心の道を歩むとはどういうことなのかを学んで生きたいと思います。


悪いしもべの特徴

1. 神様を恐ろしいと思っている

悪いしもべが抱く神様のイメージは、恐い、罰を与えられるといったネガティブなものでした。神様のイメージはよく自分の親とオーバーラップすると言いますが、私たちの神様は本当にそういう方なのでしょうか?世の中の宗教は恐怖心を与えて、罰を免れるために、救われるために、これこれの行ないをしなければならないと教えます。しかし、私たちの神様は私たちが罪を犯したとき、罰するのではなく赦してくださる神様です。間違ったイメージを持ってしまうと、賜物が使えなくなります。


2. 人のせいにする

悪いしもべが言っていることを見ると、自分がお金を使わなかったことを主人のせいにして、自分は悪くないと思っています。人が苦しみを感じるとき、その原因は周りの環境のせいではなく、100%自分自身の問題です。なぜなら、私たちは自由意志を与えられていて、感情を選択できるからです。同じ状況でも、喜びの感情を選択する人と、怒りや悲しみの感情を選択する人がいます。自分で選択しているのに、苦しみを人や出来事のせいにすると、その人の成長は止まります。自分に問題があることに気づくと、その人は進んでいくことができます。

苦しみの原因の多くは、人間関係によるものです。その中で、嫉妬やねたみ、憎しみの思いを持ち、人はつらくなります。そういった思いが生まれてくるさらに根っこにあるものは何か、それは神のことばを信頼できないことです。人の言葉、態度、評価によって一喜一憂するのは、神のことばよりも人の言葉を信頼しているからそうなるのです。神様はいつでも、私たちを高価で貴い、愛していると言われます。それをそのまま受け止めるなら、私たちは天にも昇るような幸せな気持ちになることでしょう。神様のことばより他のものを優先させること、これは偶像礼拝です。

聖書で肉に属する者、御霊に属する者という表現がありますが、肉に属するクリスチャンの特徴は、常に比較してものを見て、嫉妬、ねたみがあることです。それに対し、御霊に属するクリスチャンは、心のからくりが分かり、しだいに比較するものの見方に支配されなくなります。


3. 何もしない

主人は悪いしもべに、お金を使わないならなぜ銀行に預けておかなかったのかと言いました。悪いしもべは、お金を用いなかっただけでなく、何も行動しなかったのです。サタンは私たちを救いから引きずり下ろすことはできません。それができない代わりに実を結ばせないようにします。実を結ばせないためには賜物を用いないようにすればよいのです。その方法は、落ち込ませることです。人と自分を比較して、自分をダメだと思ったら何もできなくなります。これがサタンの策略です。

サタンの策略に陥らないためには、何かアクションを起こすことが必要です。私たちはよく自分の心が整ったら何かをしようと考えますが、これは逆です。心がたとえ落ち着かなくても、神様のために何か一歩踏み出すことで、心は整えられていくのです。

『しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。』(新約聖書 ヨハネの黙示録 21章8節)

神様が忌み嫌う者の筆頭に挙げられているのは何でしょうか。「おくびょう者」です。神様は私たちに実がなるように造られているのです。ですから、神様のために何もしないでおくびょう者になることは神様にしてみると実に無念なことなのです。神様が私たちに与えている最も多いメッセージは何でしょうか。それは「恐れるな」です。「失敗してもいいから、進みなさい。後の責任はわたしがとるから。」神様はこう言って私たちを励ましてくださっているのです。何と感謝なことでしょうか。


何をすれば分からない方には、とりなしの祈りをおすすめします。これは見返りを求めない愛の行為です。誰にも知られることなく、神様に仕える行為です。まずはここからスタートしてはどうでしょうか。私たちはみな成長している途中です。自分のことを気にしすぎないで、前へ進んでいきましょう。



神木イエス・キリスト教会


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